2024年10月28日

日記

近頃、読了いたした一冊の書物について、少しばかり筆を執ってみとうござる。

書名は『幕末単身赴任 下級武士の食日記』、著者は青木直己殿、ちくま文庫にて刊行されしものでござる。

この書は、紀州藩にて「衣紋方」――すなわち殿のお召し物を司る役目を仰せつかった、酒井伴四郎という下級武士の記した日記を基に、江戸への道中や勤番中の暮らし、特にその食にまつわるあれこれを紹介しておるものにて候。

江戸の世における下級武士の暮らしと申せば、どうしても切り詰めた貧乏暮らしを思い浮かべがちなるも、必ずしもさにあらず。贅沢こそできねど、案外と愉快に、そして工夫を凝らしつつ暮らしておったようで、目から鱗の思いにてござった。

たとえば、素麺なる細き麺は夏の常として食されておったが、これが元来、七夕の節句の食であったとは知らなんだ。また、汁粉なる甘味も、冬に限らず年中楽しまれておった由。かかる食の風習の数々、まことに興味深く、当時の暮らしが生き生きと伝わって参る。

主人公たる伴四郎殿は、衣紋方ゆえ武術とは縁薄き者と思われしが、時代の激流に巻き込まれ、あろうことか長州征伐に出陣し、立派に戦ったと記されておる。文の人が武に臨む姿もまた、時代の不可思議というべきか、いや、武士たる者の覚悟というべきか――興味尽きぬ話にて候。

なにより伴四郎殿、実に筆まめにて、食したもの、買い求めた品などを、細々と記録しており申す。これなる記録こそ、後の世の我らが往時を知る大いなる手がかりとなるもの。斯様な人物がおったこと、誠に有難きことにて候。

さらに幸いなるは、その記録が紛れ失われず、現代まで伝わったこと。これもまた、子孫の賢さの賜物にてござろう。実際、世には筆まめな先人多くあれど、記されたものの多くは、火災や散逸、あるいは「無用の物」とされて消え去りしこと、察するに余りあり申す。

拙宅でも、明治・大正のころ、商いをしておった時代の帳簿や手紙など、幼き頃には確かに存在しておりしが、今となっては一切残っておらぬ。あれはどこへ消えたものか、ときおり思い出しては、実に口惜しき限りにて候。

なお、この書の著者である青木殿は、「虎屋」なる羊羹の名店に長く勤めておられたとか。職を全うしつつ、趣味を極めて書を著すなど、まこと才ある御仁と拝察いたす。かかる愉しき書物を世に出されたこと、心より感謝の念を禁じ得ませぬ。


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