若き折、我が勤め先に、コンピュータなるものが導入された。されど、社内にその道に通じた者もおらず、何事も業者へ任せきりという体たらくであった。
私、一応その係を仰せつかりはしたが、なにぶんコードなるものを一行たりとも書けるわけではなく、内々の要望をまとめて業者に伝える役回りであった。
とは申せ、せっかくの機会であったえば、いくらかでも心得ておきたしとの心が湧き起こり、己が勉強のためにもなろうかと、「ビッグローブ」加入して、雑談のような文章を載せる小さきページを拵え始めたのである。
初めのうちは、「ホームページビルダー」なる道具を使いたが、些細な修正を加えるたびに、体裁が崩れること甚だしく、心穏やかならず。そんな折、詳しき人の一人が「いっそコードを自ら書いた方が、思い通りに出来るぞ」と助言してくれた。
いくつか指南のホームページがあり、それらを読んで試しているうちに、すっかりその道の楽しみに目覚めた。
その後、勤めの方が忙しくなり、一時は中断したが、幾年も経て残業少なき部署に移ったのを機に、再開することとなった。
その折よりは「ビッグローブ」ではなく、レンタルサーバーを借り、「ワードプレス」を使っている。「ワードプレス」は、コードを知らずとも操れるよう設えてあるが、心得ておればそれだけ出来ることも増えるゆえ、やはり学びは無駄にならぬものである。
もともとは学びの一助となればと始めたことながら、今となってはボケ防止の一助と考えている。また、作業それ自体が面白く、趣味となってしまったようなものである。
ふと思い出すのが、夏目漱石翁の『吾輩は猫である』の一節。猫の主人である珍野苦沙弥なる人物が日記を認めているのを見て、猫が申すには――「主人のように裏表ある人間は、世間に出せぬ本音を書き記す必要があるかもしれないが、吾等猫属に至っては行住坐臥すべてが真実の日記ゆえ、そんな面倒な手間をかける必要はない」と。なるほど、世に溢れる「ブログ」なるものの本質を、早くも漱石翁は見抜いておられたやもしれませぬな。
かの兼好法師も曰く、「つれづれなるままに、日くらし硯に向かひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」と。すなわち、わけもなくなっただ書くことの愉しさこそ、記すという営みの妙味ということでござろう。
法師の記したる『徒然草』は後の世にも伝わっておりますれども、私が記すものなど、私が世を去ればサーバーへの支払いも途絶え、風とともに消え去る運命。むしろ、そのほうが良いとさえ思っている。いつまでも残るというは、かえって気色悪きことであるゆえ。
