2024年11月3日

日記

若き折、我が勤め先にて「算盤替りの箱」、すなわち近頃申すところのコンピュータなるものが導入され申した。されど、社内にその道に通じた者もおらず、何事も業者へ任せきりという体たらくにござった。

拙者も一応その係を仰せつかりはいたしたが、なにぶん符牒(コード)なるものを一行たりとも書けるわけではなく、内々の要望をまとめて業者に伝える役回りにてござった。

とは申せ、せっかくの機会にて候えば、いくらかでも心得ておきたしとの心が湧き起こり、己が勉強のためにもなろうかと、「ビッグローブ」と申す寄合の仲間入りをし、雑談のような文章を載せる小さきページを拵え始めたのでござる。

初めのうちは、「ホームページビルダー」なる道具を使い申したが、些細な修正を加えるたびに、体裁が崩れること甚だしく、心穏やかならず。そんな折、詳しき人の一人が「いっそ符牒を自ら書いた方が、思い通りに出来るぞ」と助言してくれ申した。

また、「とほほのWWW入門」という指南の書を教えていただき、それを読んで試しておるうちに、すっかりその道の楽しみに目覚め申した。CSSなるものもこの指南書にて学び申した。

その後、勤めの方が忙しくなり、一時は筆を置き申したが、幾年も経て残業少なき部署に移ったのを機に、再び筆を取ることと相成った。

その折よりは「ビッグローブ」ではなく、レンタルサーバーなる陣屋、すなわちサーバーを借り、「ワードプレス」なる新しき道具を使っておる。「ワードプレス」は、符牒を知らずとも操れるよう設えてあるが、心得ておればそれだけ出来ることも増えるゆえ、やはり学びは無駄にならぬものにござるな。

もともとは学びの一助となればと始めたことながら、今となってはぼけ防止の一助と考えておる。とはいえ、作業それ自体が面白く、趣味となってしまったようなものにござる。

ふと思い出すのが、夏目漱石翁の『吾輩は猫である』の一節。猫の主人である珍野苦沙弥なる人物が日記を認めておるのを見て、猫が申すには――「主人のように裏表ある人間は、世間に出せぬ本音を書き記す必要があるかもしれぬが、吾等猫属に至っては行住坐臥すべてが真実の日記ゆえ、そんな面倒な手間をかける必要はない」と。なるほど、世に溢れる「ブログ」なるものの本質を、早くも漱石翁は見抜いておられたやもしれませぬな。

かの兼好法師も曰く、「つれづれなるままに、日くらし硯に向かひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」と。すなわち、わけもなくただ書くことの愉しさこそ、記すという営みの妙味ということでござろう。

法師の記したる『徒然草』は後の世にも伝わっておりますれども、拙者が記すものなど、拙者が世を去ればサーバーへの支払いも途絶え、風とともに消え去る運命。むしろ、そのほうが良いとさえ思うておる。いつまでも残るというは、かえって気色悪きことでござるゆえ。


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