拙者、このたび『忘れられた日本人』なる書を読ませていただき申した。宮本常一という御仁の筆によるものにて、ワイド版岩波文庫にて手に取り候。
元より拙者、昔語りを致したい心持ちは常にあるものの、若者らにはうるさく思われようかと気遣い、口を慎んでおる次第にて候。しかしながら、世間は広きもので、昔の暮らしや在り様を、実際に見聞きした者より記録せんとする「民俗学」なる学問もあるのでござる。
かの宮本常一殿という御方、この分野においては一角の者にて、この書『忘れられた日本人』も、戦前戦後の農村・漁村を巡りて聞き取りし、記し留められた貴重なる証言の数々が納められておる。
されど、この民俗学というもの、なかなかに難儀なる側面もあるようでござる。
かつて読んだ『古文書返却の旅』には、宮本常一殿が借用されたまま返却せなんだ村の資料を、数十年の後に網野善彦殿が返却なされたとの一節ありき。その頃、拙者は宮本殿の『塩の道』と『イザベラ・バードの旅』を読んだ直後にて、いささか落胆致したものにて候。
とはいえ、今となっては、体調や事情あって返せぬこともあらん、世の中思う通りに運ばぬのが常、と考えるようになり、あらためてこの代表作を手に入れ、読んでみる気になった次第にて候。そして、読んで実に良かったと心から思うた。尋常ならざる取材の力があり、宮本殿にあらずば聞き出せぬ話も多かろうと存じ申す。
さて、内容に目を移せば、性に関わる談義もあり。昔の人々は、かようなことに実に開けっぴろげであったように見受けられ申す。思えば拙者が幼少の頃、近所の婆様方が集まりて、下品なる話をげらげらと笑いながら語り合っておったのを思い出し、成程と合点がいった次第。
また、登場する人々の行動範囲の広さにも舌を巻いた。これもまた、うなずけることでござる。拙者が若き頃、田舎の実家へ帰省した折、近所の婆様が「明治の頃、東京の名士の御屋敷にて女中をしておった」と語ったのを聞き、まさに歴史の証人ではないかと驚愕致したことがあり申した。先人たちは、今の我らが想像する以上に、はるかに逞しく、行動的であったのでござる。
2024年11月7日ーこのページー2024年11月9日