近ごろ「古代日本の官僚――天皇に仕えた怠惰な面々」(虎尾達哉 著・中公新書)なる書を拝読いたした。律令制度なるものの実態に迫る一冊にて、実に含蓄深きものであった。
律令制度とは、天皇を頂点となし、貴族たちが法にもとづき政を司る体制にて、上は政策を定める上級貴族、下は実務を担う下級貴族に分かれておる。この書にて「怠惰な面々」と称されしは、まさにその下級官人たちにて、これがまた――驚くほどの怠けぶり。
たとえば「朝賀儀」という正月の賀礼の儀式の日、六位以下の官人たちが誰一人として現れず、日も暮れかけておるのに、整列させることすらままならぬ有様。全員無断欠勤、これぞ見事な足並みのそろいよう。
さらに唖然としたのは「代返」なる慣習。任官の儀式に欠席した官人の代わりに、儀式の進行役が名を呼び、本人に成り代わって「ははっ」と返事をする。こうして記録上は「全員出席」となる――欠席そのものをなきものとし、波風立てぬよう取り計らう、まことに周到なる手口。
なるほど、多少の不備や怠慢があっても、実害がなければ咎めず、事を荒立てぬよう「見て見ぬふり」。これもまた一つの処世術と申せましょうか。現代の眼で見れば無責任ともとれるが、当時としては「当たり前のこと」。やる気がないのではなく、「あえてそこまでやらぬ」のが流儀であったとも受け取れる。
著者は言う、こうした怠惰は制度が後に形骸化してそうなったのではなく、律令制度の始めから既にそうであった。そもそも唐の制度を輸入はしたものの、整然と機能するなど誰も本気では期待しておらず、多少の形骸化は黙認の前提であったと。これには、なるほどとうなずかされ申した。
特に感心いたしたのは、彼らが「この辺までは許されるが、ここから先はまずい」という一線を、見事に見極めておったという点。怠けるにしても、越えてはならぬ一線は守る。これは、ただの怠惰とは違う。「賢しき怠惰」とでも申すべきか――したたかにして処世の達人と申せましょう。
2024年11月9日ーこのページー2024年11月11日