近ごろ「菅原道真――学者政治家の栄光と没落」(滝川幸司 著・中公新書)なる書を拝読いたした。これまで道真公といえば、学問の神にして、政争に敗れて太宰府に流された人物――おおよそそのような印象を持っておった。
されどこの書を通して、道真公の実像をより立体的に知ることができた。なかでも驚かされたのは、その受験における才気。難関の試験に一発で合格とは、まことに尋常ならざる才覚。なるほど、受験生たちが神頼みするのも道理にて候。
また、太宰府左遷の件も、ただの地方転任などではなく、これはほとんど流刑に等しき処遇。途中の道中では援助も禁じられ、太宰府では政務にも与れず、俸禄も従者も与えられぬ――まことに過酷。これは「左遷」などと生やさしい言葉では済みませぬな。
また、道真公が漢詩においても卓越しておられたとは、拙者これまであまり意識いたさず、百人一首の和歌ばかりが印象に残っておったのを、少々恥ずかしく思うた次第。
そして怨霊として恐れられた背景――都の人々がその潔白を知っておりながらも手をこまねいていたこと、その後に幾度も重ねられた追贈、最終的には太政大臣にまで追い上げられたこと――これらはまさしく、無実の罪と知っておきながら、手を打たざるを得なかった朝廷の恐れの深さ、そして悔いの深さを物語っておる。
出世の果てに待ち受けていたものは、嫉妬、そねみ、ひがみ――まこと、身に覚えなき罪を着せられし者の哀しき顛末よ。祖父、父と順当に官を登り、参議まで上った家柄にてあればこそ、大臣までは筋違いと見る者も多かったのであろう。
道真公自身も身の程をわきまえ、何度も辞任の意を上奏せしというのに、それを退け、ついには破滅への道を辿らせたは、皮肉にして非情なるものにござるな。
今も昔も「出る杭は打たれる」もの。いかに才あれど、後ろ盾を失えば風前の灯。人の世の機微とは、いかなる時代にも変わらぬものでござろう。
2024年11月11日ーこのページー2024年11月13日