この頃、手元の小箱――いまどきの者は「スマホ」なるものと申すが――その記録を覗いてみれば、どうやら拙者、毎日一時間ばかり「エックス」なる場を眺めておるらしき。思うより多くの時を費やしておったと、少々驚いた次第。
拙者は、著名なる人物を数十人、さほど名は知られずとも、各々の分野にて鋭き眼差しをもつ者たちをまた数十人、さらに、恐らくはこの地元に生きると思しき者どもを数十人を追いかけておる。
中には、考えの合わぬ者もおる。されど、あえて切ることはせず、見聞きすることにしておる。時に腹立たしきもあるが、これもまた己の心の均衡を保つ妙薬のごとしと心得ておる。
地元の者が発する、「こっちは大雨である」とか、「国道で事故があり渋滞しておる」とか、「熊が出没した」などといった話は、聞いて楽しきのみならず、暮らしにも資する情報となる。まことに実用的なものである。
結果としては、新聞の代わり、またはテレビの代わりともなっておる。世の中の様子を知る上では、なかなか重宝しておる次第。
もとより、この「エックス」なるものは、己が思いを発し、他と語らう場なのであろうが、拙者、それを始めてすぐに「申すことが何もない」と悟り、早々に筆を擱(お)いた。ゆえに、もっぱら読むことが主にて、発することはほとんどなし。
まったく無音というのも心苦しく、「今日は天気がよい」とか、「山が美しゅう見える」とか、そのような軽き言葉を時折つぶやくにとどまっておる。
世の中や政治について、意見がないわけではござらぬ。されど、然るべき知識も信念も定まりおらぬ身、軽々しく声を上げることは控えておる。
この「エックス」の世には、間違うた情報もまた流れてはおるようだが、それでも役立つことの方が多きと、拙者は思う。結局のところ、すべては己の目と心、いかに見て、いかに選び取るかにかかっておるのであろうな。
2024年11月14日ーこのページー2024年11月16日