還暦を越えし頃より、何事をなすにも「今これを始めて、果たしてどれほど続けられるか…」と、ついつい物事を消極的に考えるようになり申した。
しばしの間は、本の整理や、長年積もった道具類・がらくたの片付けに明け暮れ、日々の暮らしも「後始末」が中心となり申した。思えば、そうしたことに早めに手をつけたのは悪くなかったと今では思うものの、新しきことを始めようなどとは思わなんだ。
そんな時期が、数年は続いたであろう。別段、ある日を境に気持ちを入れ替えたというわけではなかったが、ふとした折、「これは違うのではないか」と思い至ったのでござる。
そもそも、人の未来など、少し先のことすら見通せぬ。ましてや、人生の終わりの時期や、その様子など、思い描いたとおりになる道理もなし。ならば――ひょっとすると、まだ先は長いのかもしれぬ。
このような、実に当たり前の道理に、改めて気づくとは、我ながらおかしな話ではあるが、思えばあの頃の拙者は、いささか「還暦ブルー」に染まり、必要以上に気を縮こまらせていたのであろうな。
気持ちを新たにすべく、まず手始めに、庭に柿の木を植えてみた。なんでも「桃栗三年柿八年」と申すゆえ、八年先のことを見越してみようと思ったのじゃ。拙者、柿を殊の外好むということもあってのこと。
それが今では、見事に実を結ぶようになり申した。
先日も記したが、犬を再び迎え入れたのも、このような心の転換があったればこそ。拙者が変わったのではなく、己のなかの何かが、静かにほどけていったのかもしれぬ。
昔の英吉利の人が、「何かを始めるのに、遅すぎるということはない」と申したそうな。拙者としては、その言葉、少々言い過ぎでは…とも感じるが、そうした気持ちを抱くことそのものが、大切なのだろうと、今は思うておる。
2024年11月16日ーこのページー2024年11月18日