2024年11月17日

日記

還暦を過ぎた頃、何をやるときにも、今これをやり始めてもどれくらいやれるだろうか、と物事を消極的に考えるようになった時期がありました。

もう犬を飼わないと決めたのも、そんな気持ちのときでした。今から飼ったら、犬の寿命の時まで責任を持てないのではないか、と考えたのです。要はそろそろお迎えがきてもおかしくない齢になったと思い始めたということです。しばらくの間、本やガラクタの処分が生活の中心になりました。そうした作業をやっておいて良かったと今は思っていますが、人生の後始末を考え始めてしまった者が何か新しくやることなど思いつくはずもありません。

そんな状態は数年続いたような気がします。急に気持ちを切り替えたわけではないですが、あるとき、これは間違っていると思い始めました。

少し先のことでさえ予測はなかなか当たらない。まして、人生が終わる時期、終わり方など思った通りになるはずがない、であればまだ先が長い可能性もある。こんな当たり前のことを改めて気づくのもおかしな話しですが、還暦ブルーとでも言うのか、ある時期、必要以上に消極的になっていたのでした。

気持ちを切り替えて、手はじめに庭に柿を植えました。桃栗三年柿八年というので、8年先のことをやってみようと思ったのです。柿が好きだということもありました。今、立派な実をつけるようになりました。

先日も書きましたが、再び犬を飼い始めたのも気持ちが切り替わっていたからです。

イギリスの昔の人が「何を始めるにも遅すぎることはない」というようなことを言ったそうですが、今調べたら、“It is never too late to become what you might have been.”だそうです。

なりたかった自分になるのに遅すぎるということはない。う〜ん、そこまで言い切るのはどうかな?と思いますが、そういう気持ちが大事だと今は思っています。


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