「吾輩は天皇なり――熊沢天皇事件」と題する書を読み申した。著者は藤巻一保殿、学研新書より出されし一冊にて候。
天皇を名乗った人物がいた――そのことは、この書を手に取る以前より、なんとなく承知しておった。巻末の参考文献を眺むれば、拙者が若かりし頃の週刊誌なども記されており、それらのいずれかを目にした記憶が、今となっておぼろげながら蘇るような気もする。あるいは、映画館にて本編の前に流れるニュース映像にて見たような気もするが――いや、それも今となっては定かならぬ。
さて、この書、平たく申せば、名古屋の出と伝わる熊沢寛道という人物の一代記と申せましょう。熊沢氏、自らを南朝の正統なる末裔と信じ、終戦後は「本来、天皇たるべきは我なり」と唱え、世にそれを認めさせんと、さまざま活動を試みたものの、ついに世間の理解を得られぬまま、生涯を終えた人にござる。
「自分は高貴なる血を引く者なり」と信じる者が世にいること――これ自体は、理解できぬことではない。思い込みとは時に深く、人を突き動かすものにて候。
されど、この熊沢氏は、ただ信じるにとどまらず、まことに即位を果たさんと本気で動いておった。ここが拙者には、どうにも腑に落ちなんだ。「信じる」ことと「即位しようとする」こととのあいだには、大きな隔たりがあると、拙者は思うゆえ。
この書を何ゆえ手に取ったのか――おそらくは、若き日に耳目にした話題が、なぜか強き印象となって記憶の底に残り、それが懐かしさを呼び起こして、つい手が伸びたのやもしれぬ。
2024年11月17日ーこのページー2024年11月19日