2024年11月21日

日記

火野正平殿、逝かれ申した。――この報せには、拙者、まことに驚き、しばし呆然といたした。まさか、まさかでござった。なんとも残念なことでござる。

拙者が正平殿を好ましく思うようになったのは、「こころ旅」と申す自転車旅の番組が始まってからのことにて候。あの風変わりな企画を、見事に自分のものとして旅しておられた姿、まこと見事であった。

拙者とほぼ同じ歳。歯が痛い、腰が痛いとぼやきながらも、息を切らしてペダルを漕ぎ進むその様子、弱さも笑いに変えて、誠実に旅を続ける姿には、自然と心打たれ申した。

正平殿が我が近くを訪れた折には、拙者もまたその足跡をたどってみたこともあり申す。旅先の風景、道ばたの草花、人とのやりとり、どれもが記憶に残っておりまする。

近年は、さすがの正平殿も歳を重ねられたな――と感じることが多うござった。さて、いつまで続けられるものか、と思いながら見守っておった。

それでも、まさか電動には乗るまい――と勝手に思っておったが、ついに電動自転車となり申した。あれを見たときは、「これはだいぶ悪いのかもしれぬ」と心配になりつつも、「いや、これでまだ数年はいける」と、少しほっとしたのも偽らざる心でござった。

この秋からは、別の者が旅の案内役を務めはじめ、正平殿は大御所として、時折のご出演となるやもしれぬ――そう考えておった。

されど、あのまま旅立たれるとは、まことに思いがけぬこと。あまりに突然のことで、まだどこか信じきれぬ思いが拭えませぬ。


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