2024年11月22日

日記

若き折には、ほとんど日々酒を口にしておった。務めの上での付き合いが主ではあったが、家に真っ直ぐ帰った日とて、杯を欠かすことはなかった。深酒もたびたびにて、よくぞ身体を壊さずにすんだものと思う。これもひとえに先祖より授かりし体質のおかげと、感謝せぬではおられぬ。

肝の数値が悪く出たこともなく、それがまた油断のもとではあったが、飲んだ翌日はどうにもけだるく、胃の具合も芳しからず。五十を過ぎたあたりから、いよいよ胃の不調が目立つようになり、「このままではいかぬ」と思い至り、無理のない範囲で酒席を断るようになった。

とはいえ、完全に断ったわけではなく、しばらくはビールのみと決めておった。されど拙者、元来より日本酒党にて、ビールは好みにあらず。好みでない酒ばかりを口にしているうち、次第に「酒など無くてもよい」と思うようになっていった。

そして定年の折をもって、思い切ってすっぱりと断つことにいたした。
「少し嗜むくらいなら、体にもよろしかろう」と勧める者もあったが、拙者にとって一献は一献にとどまらず、ついもう一杯、もう一杯と進んでしまう性にて、「一杯で我慢するくらいなら、いっそ飲まぬ方がよい」と思い定めたのでござる。

長き習慣ゆえ、禁酒はさぞや苦しいものになるかと案じたが、実のところ、それほどのことではなかった。
世に言うには、禁酒を始めると甘味に走る者もおるというが、拙者に限ってはさしたる変化もなく、日々淡々と過ごしておった。

ただし、心のどこかでは、まだ酒を惜しんでいたのか、禁酒を始めて間もない頃、夢の中でうまそうに酒を飲み、「あれ、いかん、やめたはずでは…」と慌てふためいて目を覚ます――そんな夢を幾度か見たこともあった。目覚めたときの安堵、今も覚えておる。

「酒をやめればストレスがたまるぞ」と心配してくれた友もおったが、拙者は断言できる。酒とストレスは別物にて候。憂いは、杯で流せるような代物ではない。

酒を断ってみて、初めて見えることも多かった。世の中は、まこと「飲める者」を基準に出来ておる。結婚式、葬儀、地域の集い、ことごとく酒の席。中には、飲むことそのものが目的の催しも少なくない。

また、酒は一大産業。商いとして成り立っておる方も多く、そのことにも改めて気づかされた。ゆえに、拙者としては「酒をやめよ」と他人に勧める気持ちは持ちませぬ。
ただ、身体にこたえるようであればやめたほうがよいし、問題がなければ、節度をもって楽しめばよい――拙者は、そう思うております。

拙者の場合は、その「節度」というものがどうにも難しく、いっそ断った方が楽であったのじゃ。

気がつけば、禁酒を始めて十年を超え、十年を超えたところで少し解禁いたした。今は年に数度、大晦日と誕生日にほんの一杯だけ、日本酒を口にすることにいたしておる。かつては杯を重ねねば収まらなんだ拙者も、今ではその一杯で満足し、更に欲することもない。ありがたいことに、リバウンドというものもなかった。

酒をやめてよかったことは、ふたつ。
ひとつは、財布にやさしい。思いのほか、酒には金がかかっておったことに気づいた。
そしてもうひとつは、健康面。二日酔いというものが無くなり、朝の目覚めが、実に爽快でござる。


2024年11月21日ーこのページー2024年11月23日

総目次のページ変わり映えしない日々の日記変わり映えしない日々の日記 2024年11月>このページ

タイトルとURLをコピーしました