2024年11月23日

日記

運転が危のうなってきたという自覚は、さほど持ってはおらなんだ。されど、身近に年老いてなお車を操る者の危うき様子を目にし、「ああはなりたくない」と強く思うたことが、拙者にとっての出発点でござった。

七十の歳を迎えた折、まもなく免許を返上するつもりでおると家族に話したところ、「まだ早い」「大丈夫」との言葉をもらい、ありがたくもあった。
しかしながら、いかに「大丈夫」と言われようと、齢を重ねれば必ずや衰えは忍び寄る。拙者こそが、わが身の変化を一番知っておる。

であれば、まだ判断が利くうちに、自ら潔く区切りをつけるべきと心得た。続けるにしても、あと五年が限度であろうと考え、よきところで見切りをつけたのでござる。

運転をやめるおよそ一年ほど前から、意識して車の鍵に手を伸ばさぬようにし、代わりに歩くことを日々の習慣とした。散歩の道も、次第に距離をのばしていった。

幸い、我が住まいの近くには、店も医院も揃っておる。スーパーやコンビニまでは歩いて十ほど。かつては、このわずかの道にも車を使っておったことを思うと、今となっては不思議な気がいたす。

重き物は、今やすべて通販にて賄っておる。箱入りの水、お茶、米など、かつては車で運んでおったものも、今では玄関先まで届けてくれる。値も変わらず、ありがたい仕組みにて候。配送の方には心苦しきも、今の世の恩恵にてございますな。

医院も、徒歩十分ほどにて内科・歯科ともに揃っておる。コロナの折には、その近さが何よりであった。
街の中心部へ出るには、バスが一時間に一本。田舎にしては、これでも便のよき方と申せましょう。
とはいえ、早朝や夜間には便もなく、折々にはタクシーの力を借りることもある。
不便と申せば、確かに不便――されど、得るものも少なくはござらぬ。

運転を手放してよかったこと、いくつかござる。
まず、これまで使わぬまま鈍っておった頭を使うようになったこと。
バスに乗るにも、時刻や乗継ぎを調べ、段取りよく動く工夫が要る。
バスの乗り方一つ、最初はまごついたものの、今思えば、それすらもよき刺激となった。もし、もっと頭が鈍ってからであれば、こうはいかなんだろう。

歩くことも、かつての拙者には考えられぬほど日常となった。
三十分の道のりなら、もはや苦にもならず、時にはリュックを背負い、一時間、二時間と歩くこともある。
車で数分の場所へすら乗って出ていた日々が、もはや遠き夢のように思える。


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