若いころは、視力というもの、なかなか良い方にござった。
されど、三十の坂を越えたあたりより、どうも怪しくなり申した。
そして、四十に入ったころには、免許の更新が気がかりになり、ついに眼鏡屋に足を運ぶこととなった次第。
検査の際、店の者は「運転には問題ないでしょう」と申しておったが、拙者の望みにより、度の弱き眼鏡をこしらえてもらった。
しかしながら、免許試験場にて測ってみれば、どうにも視力が足りず、折りよく求めておったその眼鏡をその場で使うこととなった。
かくして、拙者の免許証には「眼鏡等」の文字が加わり、以後、車の御し方には眼鏡が欠かせぬこととなった。
もっとも、普段の暮らしにては不自由もなく、眼鏡は運転のときだけの道具としておった。
さて、年も七十に近づいた折、また更新のときが巡ってきた。
このとき、何ゆえかはわからぬが、妙によく見えたのである。
検査の係が「おや、よく見えますね」「何か手術でもなされたか?」と怪訝な顔をしておったが、何もしておらぬ。
それでも、「眼鏡等」の条件が消えてしまい、最後の免許証は裸眼にて通ったのでござる。
聞くところによれば、老眼になると近眼が和らぐことがある由。
それかもしれぬ、と、今ではそのように思うておる。
2024年11月29日ーこのページー2024年12月1日