このたび、「かたき討ち ― 復讐の作法」と申す書を拝読仕った。氏家幹人殿の筆によるもので、中公新書より出ておる。
敵討ちにまつわる様々な実例、ならびに当時の見聞者による所見など、誠に興味深き内容にてあった。
ひと口に「かたき討ち」と申しても、実に様々なるかたちがあり申すなか、「さし腹」なる作法には、さすがに驚かされた。
これは、深き怨念を抱いた相手の名をあげ、その者を恨み骨髄に徹すと明かしたうえで、自ら腹を切るというもの。
自刃することで、その怨敵をも切腹に追い込む、命を賭した復讐の術にござる。
拙者などは、同じく命をかけるのであれば、刀を抜いて相手を討ったほうが良いようにも思うが、それでは討ち損じる恐れもあるということでありましょう。
「さし腹」は、己が死することで確実に相手を道連れにできると見定めたゆえの選択。武士の論理とは、かくも凄烈なるものかと、あらためて思い知った次第。
拙者、これまで、敵討ちと申せば、名乗りをあげて一騎打ちに臨む、清々しき武士の決闘の如きものと思い込んでおった。
されど本書によれば、現実のそれは、もっと策と執念の入り混じったものであり、勝ちさえすれば手段を問わぬという、戦場の論理がそのまま通用しておったようでござる。
かたきの側もまた、身を隠すことは卑怯ではなく、返り討ちにすれば「よくやった」と称賛されるほどのものであったと聞けば、なおのこと、我らが思い描いてきた敵討ち像は現実とは大いに異なっていたということ。
そう申せば、かつて水戸黄門様の御番組にて、かたき討ちの場面を拝見した記憶が甦る。
討手の若者が不利に追い込まれし折、黄門様が敵に杖を投げつけて動きを止め、そこを討手が突いて本懐を遂げるという筋立てであったように思う(記憶は些か朧げなれど)。
その折には、立会人たる御隠居が手を貸すなど言語道断、と思うたものじゃが、それは拙者が現代の物差しで量っていたのだな、と今にして思う。
本懐を遂げるためには、誰の手助けを得てもよし、というのが当時の理であり、黄門様が贔屓の者を勝たせようとしたのも、まさしく当然の所作であったわけじゃ。
この一冊にて、敵討ちにまつわる認識を大いに改めさせられ申した。まこと、発見多き読書であった。
2024年11月30日ーこのページー2024年12月2日