2025年3月18日 火曜日

日記

今朝がた、映し絵の箱(=テレビ)にて興味深き話を耳に致した。曰く、認知症発症の最大の要因は「加齢」なる由。すなわち、人が長く生きれば生きるほど、その病に至る者が増えるは道理であり、かつてはそこに至る前に命尽きていた、という趣旨にござった。

なるほど、「長生きしなければ認知症にはならぬ」という逆説も成り立つ。そうであるならば、いっそ健康指導など忘れ、食いたきものを腹一杯食らい、甘きも脂も恐れず、酒は昼から呑み、煙草も遠慮なく燻らせ、散歩など小馬鹿にして寝転んでばかりおれば――なるほど、認知症になる前にあの世へ参れるやもしれぬ。人生の幕を短く引くことで、己が自由を貫き、社会にも迷惑をかけぬ。これは一石二鳥、いや三鳥にも思え申した。

されど、ここで思い出したのが、かつての知人たち。甘き饅頭を一日何個も食し、ついに糖尿を患って苦しんだ者。酒を愛しすぎて、肝をすり減らし、肝硬変にて亡くなった者。彼らの末路は、決して「楽に死んだ」などという言葉では語れぬものでござった。

すなわち――健康をかなぐり捨てて、認知症を避けるはよいが、それ以外の病にて長く苦しむということもまた、現実のうちにありけり。結局のところ、何を選ぶも己の自由ではあれど、やはり「健康志向」なるものは、無下にしてはならぬと、拙者の思考は一周して元に戻り申した。

さて、本日は昼過ぎより雨と申しておったが、結局のところ雨は降らず、空はどこか気だるげな曇り空にてござった。春の天気とは、これまた思い通りにいかぬものよ。


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