2025年3月30日 日曜日

日記

昨日は、夏目漱石の『それから』を読み申した。

主人公・長井代助、三十路にして親掛りで生活の心配もなく、俗世を軽んじながら生きておった男。その代助が、友人の妻に対する秘めたる情を燃え上がらせ、ついには道を踏み外すのでござるよ。

結末は、激した代助が親にも兄にも見放され、世の中にたったひとり放り出されたところで終わりますが、“これから”が本当の「それから」である、という余白。

ところが、漱石の次の作品、『門』では、代助の“その後”を匂わせるかのような宗助が、実に慎ましやかな公務員として、静かに暮らしております。

しかも、この宗助はかつて友人の妻であった御米と夫婦となっておる――その設定もまた、前作を知る者にとっては深く引っかかるものにて、読む者の胸に、想像の火をともします。

漱石は決して説明しすぎず、「何かがあるようで、語られない」構造を巧みに用いておる。それが読後の余韻を生み、再読を誘い、時に議論を生む。
この“気を持たせる終わり方”――まさに漱石文学の粋にござるな。

さて、本日は朝の冷え込みも厳しく、外気は氷点下三度。少しであるが雪が降り出しておった。もっとも、積もらぬと見越して心も軽いというのは、実にありがたいことでござる。


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