2025年6月19日 木曜日

日記

拙者がまだ若かりし折――と申しても、かれこれ五十年も昔のことでござるが――とある商家に奉公いたしておった。そなたらの言うところの「会社」というものにて候。

その頃は、今でこそ当たり前のようにござる「冷房なる品」、これが御座候はざる時代でな。いや、まったく無きにしも非ず、ただし、それは旦那様――すなわち社長殿の部屋のみ、ということでな。

今の世にては、ひとところのみに冷房を設けて、しかもそれが主の間だけとなれば、さぞ非難の的になろうが、当時の旦那様方は、それが当然という御威光でのう。いやはや、偉いものであった。

されど、そんな中、拙者ども下々の者に対し、「団扇(うちわ)ご法度」とのお達しがくだされたのじゃ。
曰く――
「客人の前でパタパタと風を送る様は、見苦しい」
「団扇を持てば、仕事の手が止まるではないか」
――とのこと。

まこと、理屈としちゃあ妙なものよ。「何を申すか」と、内心では憤慨いたしたが、何分にもその旦那様、筋金入りの御一人様政治(ワンマン)でのう。逆らえば、たちまちに干され申すゆえ、皆、しぶしぶ団扇を手放した次第。

しかしながら、世の中、何が功を奏すかわからぬもの。あれ以降、拙者、如何に暑かろうと、扇も団扇も用いぬ癖がついてのう。見た目だけは幾分なりとも涼やかに過ごしてござる。要は、あのパタパタが暑苦しいのじゃ。

本日もまた、空晴れわたり、良き陽気にて候。老いの身にては、冷房の恩恵に与りつつ、過ぎし日を懐かしむばかりにてござる。


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