私がまだ若かりし折――と申しても、かれこれ五十年も昔のことであるが――とある会社に勤務いたしておった。
その頃は、今でこそ当たり前のようであるエアコン、これが御座候はざる時代でな。いや、まったく無きにしも非ず、ただし、それは社長殿の部屋のみ、ということでな。
今の世にては、ひとところのみに冷房を設けて、しかもそれが主の間だけとなれば、さぞ非難の的になろうが、当時の旦那様方は、それが当然という御威光でのう。いやはや、偉いものであった。
されど、そんな中、私ども下々の者に対し、「団扇(うちわ)ご法度」とのお達しがくだされたのだ。
曰く――
「客人の前でパタパタと風を送る様は、見苦しい」
「団扇を持てば、仕事の手が止まるではないか」
――とのこと。
まこと、理屈としちゃあ妙なものだ。「何を申すか」と、内心では憤慨したが、何分にもその社長殿、筋金入りのワンマンでのう。逆らえば、たちまちに干され申すゆえ、皆、しぶしぶ団扇を手放した次第。
しかしながら、世の中、何が功を奏すかわからぬもの。あれ以降、私、如何に暑かろうと、扇も団扇も用いぬ癖がついてのう。見た目だけは幾分なりとも涼やかに過ごしてある。要は、あのパタパタが暑苦しいのだ。
本日もまた、空晴れわたり、良き陽気であった。
