聞けば小切手や手形と申すもの、令和八年の三月をもって廃止される由に候。
拙者が世に出て五十余年の昔には、支払いと申せば小切手か手形が常の事にてござった。
手形と聞けばいろいろと思い出すことが多ござる。集金に赴き候えば、顔を合わせてから手形をこしらえ始める輩もおり、そのため長らく待たされ、忙しき集金日の折にはいと腹立たしく思うこともしばしばに候。
また、為替手形と申すは引受けた者が印紙を負担する決まりなれど、自らを引受人に据え置き、印紙の義務を免れる者もこれあり。さらには印紙節約のために手形を用いず、先付けの小切手にて支払う者もおり申した。
そもそも手形と申すものは、ただ持ち置くだけでは金となるものにあらず。期日が参るより前に、しかるべき両替商に取り立てを頼まねばならぬ仕組みにて候。数多く手形を抱えし折にはなかなか手間多い作業であった。
手形にはほかにも思い出すこと多々あれど、その手形そのものが世から消えると聞き、拙者が知りし世の中がいよいよ遠ざかりゆくを感じ、いささか寂しき思いに候。
本日も暑き一日なれど、昨日に比ぶればいくぶん過ごしやすく、これ幸いに存じ候。