2025年7月10日 先生

日記

何年も前のことでござるが、ある日、街中を歩いておった折、思いもかけず、かつての師と出くわしたことがあり申した。拙者、思わず「先生!」と声をかけ申したところ――

師はにこやかに「やあ」とお応えくだされたれど、どうにも拙者のことを思い出してはおらぬご様子であった。されど、それはそれ。久方ぶりの再会は嬉しゅうござった。

師と別れてさらに歩いているとき、ふと、心に浮かびしことあり。「先生」と呼ばれる御仁とは、いかなる者どもかと。教師は申すに及ばず、医師、政道に関わる者、法の士、税の士、美容の師……種々様々におわすものよのう。

中には、「そんな肩書で呼ばれるのは好かぬ」と申す御仁もおろうが、拙者思うに、相手が心地よく思う名で呼んでやるがよろしかろう。何も骨の折れることではなし、わずかでも人の和が保たれるならば、それに越したことはござらぬ。

さて、呼び名で思い出すことひとつあり。

かつて愛読しておった書物に『若さま同心徳川竜之介』という読み物がありて、その中に「ホトケの○○」と呼ばれたきと思いながらも、なかなかそうは呼ばれぬ同心がおって、なんとも可笑しくも哀れな人物として描かれておった。筆は風野真知雄、刷り元は双葉社。『消えた十手』『卑怯三刀流』など、肩肘張らぬ佳き読み物にて、拙者もずいぶん楽しませていただいたものじゃ。

されど、あの本らも、いっときの気まぐれで古書屋へと手放してしもうた。今となっては、惜しきことをしたものでござる。


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