2025年7月12日 挨拶

日記

朝がた、庭先にて草木の様子を眺めていると、拙宅の前を小学校へと向かう子どもたちが通って行くことがある。

昔であれば、庭先におる拙者を見つけると、「おはようございます」と元気よく声をかけてくれる子も多かったものだが、いつの頃からか声がかからなくなり、こちらから声をかけても返事が戻らぬことが増え、やがて拙者も、あえて声を発することをやめてしまった。

思うに、「見知らぬ者より声をかけられたら用心せよ」という、今の世の風潮ゆえのことと存ずる。世が乱れて久しいとはいえ、挨拶ひとつにさえ、心を閉ざさねばならぬというのは、何とも寂しき限りに候。

されど昨日のこと、ひとりの小学生が、向こうから「おはようございます!」と、朗らかに挨拶してきおった。あまりに嬉しゅうて、思わず返した声が裏返ってしもうたほどでござった。

そう言えば、数年ほど前か、旅の折に訪れたるは会津は猪苗代。ちょうど通学の帰り時で、小学生たちが列をなして歩いておった。その時、子らの方から次々と「こんにちは!」と声をかけてくれ、拙者も負けじと「こんにちは」「こんにちは」と、ひっきりなしに返しながら歩いたものでござった。

あれは、その学校の教えによるものであろうが、まさしく、あれこそが本来の姿というもの。知らぬ者同士でも、挨拶ひとつで人の心は和らぎ、世は和む。そういうものと、拙者は信じておる。

さて、本日もまた、しのぎよい一日であった。風は軽やかに、陽もそれほど強からず、まことに穏やかな文月の候なり。


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