2025年8月5日の日記 坊ちゃん

日記

夏目漱石の『坊っちゃん』と申す書、若き折に読みしときは、最後、主人公が上司を殴りつけ、四国松山をあとにして江戸へ舞い戻り、街鉄の技手とやらになったくだりに、少々がっかりした記憶がござった。

なにしろ、教師という身分を捨て、市電の運転手になり、俸給四十円から二十五円に減じた――これは失敗を描いているのではあるまいかと、我が浅学より、早合点したゆえでござる。意地を通した果てに職を失うとは、世の中それほど甘くはない、そんな教訓めいたものかと受け取った次第。

されどこの齢になり、ふと考え直してみれば、どうやらそれは早計の見方であったやもしれぬ。いや、素人のたわごとゆえ、また誤解を重ねるやもしれぬが、せめて備忘のためにここに認めておきたく存ずる。

まず、四十円の俸給というのは、中学校の新任教師が皆その額を得ていたわけではないようでござる。坊っちゃんは物理学校(現東京理科大学)の卒業者、すなわち理数の専門に長けた者ゆえ、それが買われたものと見てよかろう。思えば、漱石先生自身も英語の才ありて、松山中学校時代には校長より高給を得ておったと伝え聞く。旧き時代には、専門の力がそのまま俸給に現れることもあったのであろう。

故に、東京に戻って月給二十五円となったとて、それは単純に「下がった」と見なすべきものに非ず。職種も職場も異なる以上、比較の意味は薄く、むしろ、その俸給で如何なる暮らしが成り立つかを見るべきにて候。

実際、坊っちゃんは東京にて、相応の広さをもつ家を借り、老女中の清を引き取り、ともに暮らす余裕を持っておる。すなわち、二十五円といえど、そこそこの生活を営むには充分な額と見るべきであろう。

さらに「技手」という言葉につきては、昔読んだ折、拙者は勝手に「運転手」と早とちりいたしておった。されど、調べれば、明治の時代において技手とは技術系管理職に近き役職。物理学校を卒えた者にふさわしき人材として、街鉄という鉄道会社に採用されたと見るが自然。

管理の立場も兼ねる技術職――そう考えれば、これは都落ちどころか、むしろ手堅きキャリアアップ。矜持を失わず、自らの専門をもって職に就いた、実に潔し、とも申せましょう。

『坊っちゃん』なる書、何度読んでも新たな味わいを覚えるとは、かの作が、ただの滑稽譚ではなく、その時代と人々の考え方を深く映したものである証左。漱石先生に限らず、明治・大正の文士の筆になるもの、その時代の背景を少々でも調べながら読むことでさらに面白みが深まるものでござるな。

さて、本日は久方ぶりの雨にて、いささか暑さもやわらいだ感あり。とは申せ、なお三十度を超えること、これまた当たり前のように続いておる。まこと、近頃の夏は容赦がござらぬ。


2025年8月4日ーこのページー2025年8月6日

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