夏目漱石の『坊っちゃん』という小説を、若いときに読んだときは、最後、主人公が上司を殴りつけ、四国松山をあとにして江戸へ舞い戻り、街鉄の技手になったくだりに、少々がっかりした記憶があった。
なにしろ、教師という身分を捨て、市電の運転手になり、俸給四十円から二十五円に減じた――これは失敗を描いているのではあるまいかと、早合点したのである。意地を通した果てに職を失うとは、世の中それほど甘くはない、そんな教訓めいたものかと受け取ったのだ。
されどこの齢になり、ふと考え直してみれば、どうやらそれは早計の見方であったかもしれぬ。いや、素人ゆえ、また誤解を重ねるかもしれないが、備忘のためにここに認めておきたく思う。
まず、四十円の俸給というのは、中学校の新任教師が皆その額を得ていたわけではないようである。坊っちゃんは物理学校(現東京理科大学)の卒業者、すなわち理数の専門に長けた者ゆえ、それが買われたものと見てよかろう。思えば、漱石先生自身も英語の才あって、松山中学校時代には校長より高給を得ていたと伝え聞く。旧き時代には、専門の力がそのまま俸給に現れることもあったのであろう。
故に、東京に戻って月給二十五円となったとて、それは単純に「下がった」と見なすことはできない。職種も職場も異なる以上、比較の意味は薄く、むしろ、その俸給で如何なる暮らしが成り立つかを見るべきであった。
実際、坊っちゃんは東京にて、相応の広さをもつ家を借り、老女中の清を引き取り、ともに暮らす余裕を持っている。すなわち、二十五円といえど、そこそこの生活を営むには充分な額と見るべきであろう。
さらに「技手」という言葉については、昔読んだ折、私は勝手に「運転手」と早とちりしていた。しかし、調べれば、明治の時代において技手とは技術系管理職に近き役職。物理学校を卒えた者にふさわしき人材として、街鉄という鉄道会社に採用されたと見るが自然。
管理の立場も兼ねる技術職――そう考えれば、これは都落ちどころか、むしろ手堅きキャリアアップ。矜持を失わず、自らの専門をもって職に就いたと言える。
『坊っちゃん』という小説、何度読んでも新たな味わいを覚えるのは、この作が、ただの滑稽譚ではなく、その時代と人々の考え方を深く映したものである証左であろう。漱石先生に限らず、明治・大正の文士の筆になるもの、その時代の背景を少々でも調べながら読むことでさらに面白みが深まるものである。
さて、本日は久方ぶりの雨にて、わずかであるが暑さもやわらいだ感がある。しかし、なお三十度を超える日が当たり前のように続いている。近頃の夏は容赦がない。
