「令和の米騒動」なる言葉を耳にし、ふと思い出したのが、かつて手に入れた一冊――『鼠―鈴木商店焼打ち事件』なる書にて、著者は城山三郎殿。文春文庫にて世に出たものでござる。
騒動の舞台は大正七年――今から百年と少し前のこと。世は第一次大戦の影響もあり、米の価格が高騰、民の暮らしを直撃いたした。全国各地にて米屋が襲われ、暴動となりて広がり、ついには神戸に本拠を置く鈴木商店が「買い占めの元凶」とされ、群衆により焼き討ちに遭うという事態に至った。
この騒動、今の米不足や価格高と比較するのは、まさに桁が違う話。警察では手に負えず、ついには軍隊が出動。大量の検挙者を出し、ようやく鎮められたという、大正期における未曾有の社会動乱にござった。
拙者がこの書を求めたのは、米騒動そのものに興味があったからではなく、一時は三菱・三井をも凌ぐ売上高を誇った「鈴木商店」という存在に興味を覚えたがゆえ。その興隆と没落の裏には、きっとこの国の近代化の光と影があるに違いない――そんな思いがあったのでござる。
書を読み進めれば、重役・金子直吉という男の姿が浮かび上がる。凄まじき仕事人間、己が信じた道を貫き、人の進言にも耳を貸さぬ頑固さ。しかしながら、会社が潰れたのちも、古き従業員たちは彼を慕い、語る言葉は「懐かしい」「良い人であった」とのこと。
城山三郎殿の筆の冴えは、ただ史料を読み解くにとどまらず、存命の当事者を訪ね歩き、その声を拾い上げ、裏付けを取り、歴史を「生きたもの」として描き出す。鈴木商店が焼き討ちに遭ったという一点をもって「悪の象徴」と断ずることの愚かさを、書を通じて浮かび上がらせておる。
一つの出来事、一人の人間を、白黒で語ることの危うさ。時代に翻弄されつつ懸命に歩んだ人々の姿が、強く胸に残る書物でござる。
本日は、時折雨が降ったこともあり、気温はさして上がらなんだが、肌にまとわりつく湿気ゆえに、汗ばむ一日と相成りました。