朝晩めっきり冷え込むようになり、昨日は日中も暖まらず、最高気温が十度に届かなかった。北海道では平地でも雪が降ったところがある由。拙宅では、今シーズン初めて日中にストーブをつけた。これまでも、早朝深夜にはつけたこともあったが、日中は初めてであった。
さて、遠き昔、私が幼い頃は、もちろん今のような石油ストーブやエアコンなど無し。薪ストーブが主流であった。ついでに申せば、実は私、薪ストーブどころか、囲炉裏(いろり)で暖を取っていた記憶もある。雪深き北国で、私の生まれ育ちし家は、家の中心の大きな部屋に囲炉裏があった。
囲炉裏の火が燃える様子は、幼心にも不思議なものだ。煙突などないゆえ、煙は屋根裏へ、そして天窓へと抜けていった。あの黒く煤けし梁(はり)と、囲炉裏端の熱き空気を、今でもありありと思い出し申す。ただ、全身を温めるというより、火の当たっている部分だけが熱いという、なんとも心許なき暖房であった。幼かったゆえ、寒かったのかどうか私の記憶は定かではないが、囲炉裏の周りに座る大人の姿はいつも厚着であった。
囲炉裏の部屋は、夜になると特に冷え込みが厳しくなる。大人たちは「囲炉裏の部屋は耐えきれない」と言い出し、食事が終わると、奥の方に一部屋だけ薪ストーブが置いてある部屋があって、そこへ「逃げ込んで」おった。その部屋は八畳間にて、家族全員が入ると少々狭いくらいであったが、この部屋だけは別世界のような温かさであった。
薪ストーブは、手で薪をくべ続けねばならぬ。今や、スイッチ一つで温かくなる便利な世になった。されど、古き時代を知っているせいで、私は、ストーブのスイッチを押して「点火しました」というストーブの声を聞くとき、ふと、「今はこうなったのだなあ」と懐かしみ、なんだか申し訳ないような、贅沢をしているような気分になることがあるのだ。
本日は朝方は雨が降ったが、日中は薄日がさしておった。
