日本の正月を彩る「年賀状」は、単なる季節の挨拶というよりも、人と人との絆を確かめ合う風習であり、一年でもっともアナログで温かい文化と言えるでしょう。しかし近年、この美しい慣習の終止符を意味する「年賀状じまい」という言葉をよく耳にするようになりました。
年賀状じまいとは、文字通り、毎年続けてきた年賀状のやり取りを辞退することを、相手に伝える行為です。その背景には、高齢化に伴う「終活」の一環としての整理や、デジタル化によるコミュニケーション手段の変化、そして何より枚数が増えすぎたことによる心身の負担があります。
いつごろから始まったか、明確には分かりませんが、携帯電話からスマートフォンへと移行が進み、人々の繋がりがリアルタイムに、そしてメールやSNSへシフトした2010年代後半あたりから、徐々に年賀状じまいが意識され始めたように感じています。
では、実際に年賀状じまいを進めるには、どのような手順が必要でしょうか。これは一方的な通告ではなく、丁寧な挨拶状でなくてはなりません。最も一般的なのは、その年(たとえば令和七年)の年賀状の文面に、「誠に勝手ながら、本年をもちまして年賀状の送付を控えさせていただきます」といった旨を添え、ラストレターとすることです。あるいは、年内にあらためて「年賀欠礼の挨拶」として送付する方法もあります。重要なのは、相手が翌年年賀状を用意する手間を取らせないよう、喪中ハガキと同じくらいの配慮とタイミングをもって伝えることです。
合理性や個人の負担軽減という側面から見れば、これは現代社会に即した「賢明な選択」と言えるでしょう。形骸化した惰性のやり取りをやめ、本当に大切な人には別の形で連絡を取る。これはまことに前向きな「良いこと」です。
しかし、一年一度、こちらの近況と相手の安否を尋ねる儀式が、ひとつ減ってしまうのです。年賀状の文面には、デジタルなメッセージにはない「風情」が確かにありました。この「じまい」が、せっかくの、かすかに続いてきた長い交流を絶つのは事実です。
結局のところ、年賀状じまいが良いか悪いかは、個人の価値観と、残された体力にかかっているでしょう。形式としての年賀状をやめることはあっても、相手を想う気持ち、お互いの幸せを願う気持ちまで「しまう」ことことではないのですが、私自身、「しまう」と同時に、一つの終わりが訪れたことは確かだと思うのです。
