今朝のことだが、長年、神棚に水をお供えしておった湯呑が割れてしまった。
神様にお供えしておったものが壊れるとて、普通は、「不吉な前兆ではないか」などと、些か心がざわつく出来事かもしれぬ。されど、私は違う。
私は、神様に用いている物が壊れたときは、神様がその品物に飽きた時だと思っている。取り替えてほしい時に壊すのだ。
神棚に酒や水を供えるときは、正式には瓶子(へいし)や水玉(みずたま)といった神具を用いるのが習わしであることは承知している。されど、私の代になってからは、小ぶりの湯呑を用いている。
神様だからとて、堅苦しいとは限らぬ。あの、いかにも神具然とした水玉よりも、私たちが普段、お茶をいただく湯呑の方が気にいるであろう、と私は勝手に思っているのだ。
割れたとなれば、代りはどれがよいかと、家である湯呑の類を探してみたが、どれもしっくりこぬ。街に出て探してみた。これが良いであろうと手に取ったのは、ぐい呑みであった。
ぐい呑みは、当然ながらお酒をいただく器である。水を供えるには些か違うかもしれぬが、私が家でも特別の日には神様にお酒を供える。両用に使えるので良いであろうと考えて、それにした。
早速、そのぐい呑みでお水を供えた。なに、気に入らねば、また壊してくれるであろう。
今日は久しぶりに青空であったが、気温は十度どまり。肌寒い一日であった。
