2024年11月7日

日記

昨今、まことに厄介なことながら、「迷惑なる文(ふみ)」がしきりに届き申す。
とは申し条、常にというわけでもなく、波の如く、ある時はぴたりと止み、またある時は日々連なりて舞い込んで参る。

書面の題名(タイトル)を一目見れば、大方それと見抜くことができ申すゆえ、即座に「迷惑文の袋」へと放り込んでおりまする。

かつては、「そなたの口座、停止され候」といった趣旨の文が頻繁に届き申した。
最初のうちは、「さて、これはいかがなることか」と、少々たじろぎもいたしたが、すぐに慣れ、今では迷うことなく、即座に斬り捨て御免、迷惑袋行きにござる。

近頃は、「お久しゅうございまする」とか、「なにゆえ返信くださらぬか」などと、馴れ馴れしき文が届き申すが、そもそも拙者、そのような付き合いを持たぬ身ゆえ、まったく心を動かされ申さぬ。
あのような手口に引っかかることなど、露ほどもござらぬ。

思えば、迷惑なる電話は、固定の電信(電話)には、ずいぶん昔よりかかってきており申した。
表示板に見知らぬ番号が出ておれば、取り合うことはせず、すぐさま着信拒否の手立てを講じ候。
その甲斐あってか、いつしかかかってくる数も減り申した。

しかるに、近年は、携帯なる手持ちの電信にも、時折ではあるが迷惑なる電話がかかってくるようになり候。
何某かの勧誘とのこと、すぐに斬っており申したが、手を止められるのが何より腹立たしく、まことに迷惑千万にて候。

されば今では、知らぬ番号よりの呼び出しには一切応じぬことに致し、その都度、番号を拒否の帳に加えるようにしており申す。

拙者、「迷惑、迷惑」とばかり言うておるが、中には迷惑にあらざるものも拒否してしまっておるやもしれぬ。
それはまことに心苦しきことで候えど、高齢の身を守るには、いたしかたなきことと心得申す。

さて、携帯の電信において、帳に名の記されておらぬ者よりの呼び出しを、いっそ最初から遮断できぬものかと調べてみたところ、
「不明なる発信を消音せしむ」という術があるとのこと。これなるは、着信音は鳴らぬが、留守伝(留守番電話)や履歴には残る仕組みにて候。

されど、いささか中途半端にも思え、さてどうしたものかと、今もなお思案に暮れておる次第にて候。


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