2024年12月27日

日記

拙者、Appleと申す異国渡りの時計を身につけておる。これ、初めて世に出た折より気になりはしたが、初物に飛びついて良き思いをした験しが無く、辛抱して次の型を待った。そは二代目、すなわちSeries 2とやら。これが世に出たは八年前、拙者は其の時より使い続けておるゆえ、実に丈夫なものと感心致す。

意気込みて使い始めたはよいが、結局のところ、時計として、文(ふみ)を読む道具として、天気を占うため、目覚まし、時刻を計るための砂時計(タイマー)の代わり、そして歩数を数えるものとして用いるくらいに収まっておる。

まずもって時計としての役目。拙者、もとは携帯とやらを持つようになってより、腕時計からは遠ざかっておった。されど、このAppleの時計は腕に付けておるゆえ、自然と時刻を目にするようになった。面白きは、文字盤の装いを変えられることにて、気分で拵えを変えるのも一興。年寄りは認知に翳りが差すと針の読みが難しくなると聞き及び、拙者はその試みとして、数字の無き針のみの文字盤を好んで使うておる。

次に文を読む便はなかなかのもので、わざわざ懐から携帯を取り出さずとも、ちらりと腕で見られるのは便利にござる。返信も叶うらしいが、こんな小さき画面で細かいことを打つ気は起きぬ。なお、御役目を退いてからは急ぎの文など届かぬゆえ、宝の持ち腐れにもなりつつある。

目覚ましとしては毎日欠かさず使うておる。拙者は腕に付けたまま寝る故、振動にて目覚める仕組み、これが殊に都合よい。音でも起きるが、拙者には腕の震えがより効果的にござる。

この時計には体の具合を計る仕組みもござって、日々の歩数やら運動やらを示す。拙者もこれを見て散歩の励みにしておる。

また座り続けておると、立てと促される。然れど、人と語り合う折や、立てぬ事情のときには鬱陶しくも感じ申す。

近ごろの型には、心臓の動きまで測れると聞く。年寄りは健康に執心するものと申すが、ここまで来れば、余は余生、付録のようなものと達観しておるゆえ。妻には血圧を測れと申されて従ってはおるが、それ以上の細かき数字は望まぬ。

ところで、転げ落ちれば助けを呼ぶ仕組みがあると聞いておったが、拙者の持つ型には無く、先日派手に転んだが、何も起こらず。調べてみればSeries 4以降の機能と知れた。


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