四十年近く昔のことでござる。ある催しの手伝いを致し、終わってより道具類を倉庫に収めておったところ、責任者の一人殿が参り、「皆はどこへ行ったか」と尋ねられ申した。
「皆様お帰りになりました」と答えしところ、ずいぶんとご立腹され、「あとふき」もせずに帰るとは何事か、許しがたいと仰せになり申した。
そのまま、せめてお前だけでも付き合えと拙者を引き連れて、酒席へ赴くこととなり申した。
酒を酌み交わすうちにも、その方曰く「あとふきなくしては事が締まらぬ。来年もきちんと続けてゆくためには必ず『あとふき』が必要なのだ」と、熱く語り聞かせられ候。
されど拙者、その折「あとふき」という言葉の意味がまるでわからぬのだが、聞き返せば長くなると思い、遠慮して問いもせなんだ。
ところが、つい先ほど、菅井真澄遊覧記を拾い読みしておったところ、「あとふき」とは「宴席などのあとに後始末を済ませ、手伝いの者たちがささやかに酒を酌み交わすこと」と記されており(東洋文庫四「おらがの滝」二百二頁)、あの時の話の理屈にようやく合点がいった次第にござる。
さて、本日は朝のうちわずかに雪が舞い申したが、日中は時折日も差し、穏やかな一日と相成り申した。されど、明日にはまた警報級の大雪となるやもしれぬとの由、油断なりませぬな。
2025年1月13日ーこのページー2025年1月15日