このところ、雪かきの疲れが響いておるかよく寝ており申す。元より寝付きは良き方にござるが、六十を越えた頃より、時折、夜中の二時、三時あたりに一度は目が覚めるようになっておった。近頃はそれもなく、明け方の午前五時五十分に仕掛けておる目覚ましに起こされるまで眠り通しておる次第。
拙者は眠りが足らぬとどうにも調子が崩れる性質にて候。これも幼少の頃の親の教えが身に染み付いたせいかと存ずる。我が家では「子は早く寝るもの」との教えが厳しく、小学校を終えるまでの就寝は午後八時と決まっておった。不思議とも、嫌とも思わず、その掟に従い申した。
朝はおおむね午前六時に起きておったゆえ、十時間の眠りを常としておったわけにござる。かかる習いが身に染みて、大人になっても八時間の眠りを欠かせぬ体質となり申した。
人というもの、眠り足らずば翌日に障ることは誰しもあるものと思うが、その限度が八時間という者は稀にござろう。拙者も自分で可笑しく思うほどにて候。
それでも若き折は、五十歳ばかりまでは無理もきき、気張れば徹夜もたまには叶うものであったが、今となっては正味八時間を欠かすことは叶わぬ身となり申した。
かような眠りの長さは遺伝と申す話も聞くが、拙者には当てはまらぬように思う。我が親は子を寝かしつけた後も遅くまで起きておったし、我が子らも小学生の頃から午前零時まで起きて平気でおったゆえ。
今日は曇りがちにてときおり陽が差し、気温も六度まで上がり申した。されど消流雪溝は依然流れが悪く、雪片付けは思うに任せず。幸い一週間の予報にては雪の気配なし。気長に構えるといたす。
2025年1月18日ーこのページー2025年1月20日