弥生三月に入り申した。睦月・如月と雪に悩まされ続けたが、これから先は、仮に降る日があろうとも、さすがに大雪が長く続くことはあるまい――と、淡き期待を抱いておるところにござる。
さて、今日は「忘れ物」について、ひと筆記しておきたく候。
このところ、物忘れをせぬよう、荷の扱いには殊更に気を遣うようになり申した。
鉄道に乗る折も、荷を頭上の棚には極力置かず、常に手元に置いておく。
鞄ひとつ失えば大事にござるゆえ、たとえ腰掛ける折でさえ、肩から紐を外さず、しっかと腕に掛けたままにしておる。盗人を恐れてのことではなく、己が忘れてしまうことへの用心に候。
また、立ち上がるたびに、必ず自分が腰掛けておったあたりを見まわし、忘れ物がないかと確認するのが、今では習い性となり申した。若い頃には、かようなことは致さなんだ。
されど齢を重ねて、忘れ物とは紙一重の油断から起こるものと、身に沁みて知るようになり申した。今はまだ大きな失敗こそ無きものの、「いずれ必ず何かを忘れるだろう」という、妙な確信のようなものが拙者の中に居座っておる。
このようなことを思い出したのも、先日、外出先で人の忘れ物に遭遇したゆえにござる。
とあるショッピングモールの厠(かわや)にて個室に入ったところ、扉の内側の釘に、大きな紙袋がかけられておった。袋の意匠を見るに、館内にある菓子屋の品と見受けられ、袋の中を少しのぞけば、きれいに包まれた箱が見え申した。
届けるべきか、はたまた戻って来るのを待つべきか……しばし思案に暮れたが、戻って探す者にとっては、その場にあった方が良かろうと、そのままにして出てまいった。
ところが、ふと考え直した。
目の前にぶら下がっておる物を、そのまま置き忘れる者が果たしておるものか? もしかして、不審な物ではないか? やはり届けるべきではなかったか? ――と、心に疑念が芽生え、再び厠の洗面所あたりに戻って、何気ない風を装いつつ様子をうかがっておった。
すると間もなく、年格好も拙者とさして違わぬ者が、慌てた様子で駆け込んで来て、まっすぐその個室に入り、件の紙袋を抱えて出て行った。
なるほど、ただの忘れ物であったかと、胸をなで下ろし申した。
2025年2月28日ーこのページー2025年3月2日