かつての頃、我、手元の品々を断ち捨てる「断捨離」とやらに励みしことがござる。
死して後、我が家にガラクタ山積なれば、片づける者に難儀をかけるやもしれぬ――かように思うたがゆえに候。
されども、親の遺した品を一つひとつ見定め、選り分けてまわった折のこと、あの作業の苦労は並大抵ならずとも、思いがけぬ発見あり、時には懐かしき想いにも触れ、楽しき側面もあったこと、今さらながら思い出され候。
かような次第にて、なるたけ身辺を整えておくは肝要なれど、あまり無理をしてまでやるものでもなし。残ったものは、あとに続く者に任せるもまた一つの道、と、今はそう考えるに至り申した。
さて、本日は朝より晴れ渡り、気温も久方ぶりに二十度に達し、いささか春めいた陽気となり候。町なかをぶらぶらと歩いておれば、あちこちに咲き誇るソメイヨシノの花、目に鮮やかに映りて、心ほころぶひとときでござった。
2025年4月23日ーこのページー2025年4月25日