近頃、詐欺なる不埒者の所業、巷にて跋扈しておるとの噂、あちこちにて耳に致す。中でも、御上の役人――つまりは同心や与力のふりをする輩が増えておるとのこと。
明日は我が身、とは申すものの、拙者はもともと用心深き性分にて候。そもそも、若き折に一度大きく面目を失いしことが、今の慎み深さの元となっておる。
あれは――もう五十年も昔のことでござった。拙者、当時は職人を生業としており、工場にて組立作業に従事して日々作業着を纏って働いておった。スーツなど、着る機会も無き身ではあったが、いずれ何かの折には必要になるやもしれぬと、心のどこかで気にかけていた頃のことである。
勤めを終えての帰り道、とある車が傍らに停まり、中年の男が姿を現した。道を尋ねるかと思えば、曰く――配達の途中で事情あり、現金が要るゆえ、返品されたスーツを格安にて譲りたいとの申し出。
その話、どうにも怪しくは思うたものの、「安く手に入るかもしれぬ」という欲が、心のどこかに巣くっておった。ゆえに、拙者、その男の身なり、言葉遣い、立ち居振る舞い――隅々まで見極めようと努めた。見れば、どう見ても品格ある紳士に見え申した。
不運なることに、その日に限って、財布には一万円という大金が入っておった。これと引き換えにそのスーツを手に入れ、拙者はすぐさま商店街の洗濯屋へと参った。作業着の繕いなども頼める、顔なじみの店であったゆえ、裾上げを頼もうとしたのでござる。
すると、店主、スーツを見るなり、「引っかかったなあ、アハハハ!」と大笑い。拙者も、ただただ照れ笑いするしかなかった。いや、面目次第もござらぬとはこのことであろう。――誠に、良き教訓でござった。
それ以来、拙者、かかる類の話には決して耳を貸さず、また別の詐欺めいた誘いにも引っかかったことは一度もござらぬ。詐欺を見抜く目が養われた、というのではなく――「うまい話は、道端には転がっておらぬ」と、身に染みて学び申したのじゃ。
要は、話を「聞かぬ」ことこそ、最も堅き防御と心得る。聞いてしまえば、心が揺らぐ。あちらは騙しの道を極めた者ども、言わば詐術の達人。対するこちらは、素人の一人に過ぎぬ。理屈で考えた末に騙されたのが、まさしくその証でござった。
以来、拙者、道端での聞き取りには一切応じず、見知らぬ番号からの電信にも出申さぬ。拙宅に訪いくる商い人も、すべて門前払いと決めておる。「もう騙されはすまい」などとは、とうてい申せぬが――残る人生、なるべく穏やかに、騙されずに終えたく存じ候。
今日の空は終日、雲に覆われ申した。されど、日中の盛りは二十九度と聞き及ぶも、空気が乾いており申したゆえ、心安き一日と相成った。
