般若心経

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私の家は代々仏式で弔いをやってきました。さるお寺の檀家でもあります。なので自動的に仏教徒なのですが、阿弥陀様より八百万の神々に惹かれる不信心な仏教徒です。

ところが、高齢になるにつれ、親はすでに亡く、友人知人の訃報に接することも多くなりました。

そうしたことにも影響され、また、仏教についての本をいくつか読んだりして、日本仏教も捨てたものではないと思い始め、近場の観音詣などもするようになりました。

最近は、わがご先祖は僧侶の読経よりも私の読経を喜ぶのではないかと考えるようになり、般若心経に取り組んでいます。ただし、聴いているのとやってみるのは大違い、ユーチューブで聴く僧侶の般若心経のようにはいきません。恥ずかしいので人がいないときにやっている有様です。

以下は私の練習帳です。

般若心経

観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。

かんじーざいぼーさつ。ぎょうじんはんにゃーはーらーみったーじー。しょうけんごーうんかいくう。どーいっさいくーやく。

舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。

しゃーりーしー。しきふーいーくう。くうふーいーしき。しきそくぜーくう。くうそくぜーしき。じゅーそうぎょうしきやくぶーにょーぜー。

舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。

しゃーりーしー。ぜーしょーほうくうそう。ふーしょうふーめつ。ふーくーふーじょう。ふーぞうふーげん。

是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。

ぜーこーくうちゅう。むーしき。むーじゅーそうぎょうしき。むーげんにーびーぜっしんい。むーしきしょうこうみーそくほう。

無眼界。乃至無意識界。無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。

むーげんかい。ないしーむーいーしきかい。むーむーみょう。やくむーむーみょうじん。ないしーむーろうしー。やくむーろうしーじん。むーくーしゅうめつどう。むーちーやくむーとく。

以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。

いーむーしょーとくこー。ぼーだいさったー。えーはんにゃーはーらーみったーこー。しんむーけいげー。むーけいげーこー。むーうーくーふー。

遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。

おんりーいっさいてんどうむーそう。くーきょうねーはん。さんぜーしょーぶつ。えーはんにゃーはーらーみったーこー。とくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい。

故知般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。能除一切苦。真実。不虚故。

こーちーはんにゃーはーらーみったー。ぜーだいじんしゅー。ぜーだいみょうしゅー。ぜーむーじょうしゅー。ぜーむーとうどうしゅー。のうじょーいっさいくー。しんじつ。ふーこー こー。

説般若波羅蜜多呪。即説呪曰。

せつはんにゃーはーらーみったーしゅー。そくせつしゅーわつ。

羯諦。羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。

ぎゃーてい。ぎゃーてい。はーらーぎゃーてい。はらそうぎゃーてい。ぼーじーそわかー。

意味

観自在菩薩が、深く般若波羅蜜多を行った時、五蘊、皆、空であると照見し、一切の苦厄を救った。

舎利子よ、色は空に異ならず。空は色に異ならず。色は即ちこれ空である。空は即ちこれ色である。受、想、行、識もまたかくのごとしである。舎利子よ、この諸法は空を相とする。生ぜず滅せず。垢でなく浄でもない。増えず減らず。この故に、空の中に色無く。受、想、行、識も無い。眼、耳、鼻、舌、身、意も無い。色、声、香、味、触、法も無い。眼界無く。さらに、意識界も無い。無明も無い。また、無明が尽きることも無い。さらに、老、死も無い。また、老死が尽きることも無い。苦、集、滅、道も無い。智も無い。また、得も無い。

得る所無きを以て、故に、菩提薩埵は般若波羅蜜多に依る故に、心に罣礙無し。罣礙が無き故に。恐怖有ること無し。一切の顛倒夢想を遠離して、涅槃を究竟する。三世の諸仏は、般若波羅蜜多に依る故に、阿耨多羅三藐三菩提を得る。

故に知るべし。般若波羅蜜多は、これ大神呪なり。これ大明呪なり。これ無上呪なり。これ無等等呪なり。能く一切の苦を除き。真実なり。虚ではない故に。

般若波羅蜜多の呪を説く。即ち、呪を説いて曰く。

羯諦。羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。


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