あれは、そう――三年ほど前のことでござった。
ある日、ふと視界の中を黒き影のようなものが、ふわりと流れ申した。充血もせず、痛みもなし。しかしながら、眼の内にて血がにじんだのではあるまいか、と、拙者、ただならぬ気配を感じて候。あるいは「飛蚊症(ひぶんしょう)」というものかと思い当たったものの、その時点では、その正体もよう分からず。
慌てて書物ならぬ、例の「網の目のような箱(※註:現代の“ねっと”のこと)」にて調べてみたところ、どうやら一大事であるやもしれぬとのこと。不安にて、駕籠――いや、今風に言えば「たくしぃ」という乗り物を呼び寄せ、眼科の医師のもとへ向かい申した。
あれこれと検分ののち、御医師殿は、静かに申され候。 「さほど案ずることはありませぬ。目の中に濁りや小さな塵のようなものが映り込んでおるだけです」とのこと。
拙者が想像しておった中では、もっとも安堵すべきお言葉にて候。内心、最悪の事態まで思い巡らせておったゆえ、まこと有り難く思うた。
そこで拙者、「これは治るものでござろうか?」と尋ね申したところ―― 「いえ、これは老いによるものでして、治るものではございませぬな」と、さらりと申され申した。
――気にせぬこと。それが最上の対処法らしゅうござる。
しかしながら、その医師、続けてこう仰せられた。 「この症状とは別の話ですが、白内障の初期でございますな」
――まさか、と思いきや、年齢を思えば、さほど不思議なことでもなきにしもあらず。しかしながら、いざ自らの身にそれが起こるとなると、驚きもひとしお。
この話を聞いて、ふと、かつての知人のことが脳裏をよぎり申した。
その者、つい先頃、白内障の手術を受け、「受けてよかった」と申しておった。
その言葉を思い出しながら、拙者も尋ね申した。 「いずれ、手術が必要にござろうか?」
すると御医師、「今のところ急を要しませぬ。しばらく様子を見ましょう」と穏やかに答えられ、さらに「日の光は目に良うござらぬゆえ、外出の際は“さんぐらす”をかけるがよろし」と勧められ申した。
そう言えば、近頃、天気のよい日はやたらと眩しく感じるようになり申した。昔は、いかに日差しが強うとも、眉一つ動かすこともなかったが――あの「まぶしい」という感覚こそ、兆しであったのであろう。
拙者、さんぐらすなる物を一つも持っておらなんだゆえ、早速求めて参った次第。
その折、若かりし頃、かつて仕えておったさる屋敷の主――すなわち社長どの――が申しておった言葉を思い出し申した。
曰く、 「目は口ほどに物を言う、というではないか。その大切な目を隠すような色眼鏡をかける奴に、ろくな者はおらん!」
――さもありなん、と思っておったが、ある日、その主殿が、うっすらと色のついた眼鏡をかけて職場に現れ申した。
家臣一同、陰で「何たる変わり身」とささやき合ったものの――
今にして思えば、あれもまた白内障の兆候ゆえであったのだと、ようやく合点がいった次第。
まこと、加齢というものは厄介なものでござる。
されど、これもまた、生きておる証し――そう思うて、今日も穏やかに過ごして参る所存に候。
このページー2024年10月26日