「ピンポン」と鳴るも、いまや「朋あり遠方より来る」などという風雅なことは、まずござらぬ。
近隣の顔見知りならいざ知らず、大方は商いか、あるいは宗教に関わるものである。
このような折、拙者は一言「買う気はござらぬ(聞く気もなし)」と申せば、大抵は礼もそこそこに立ち去る。
ここ数年で申せば、商いの方はずいぶんと減った。
近ごろでは、見知らぬ者が「お菓子を売っております」とか、「不要の靴があれば頂戴したい」とか申してきたが、いずれも胡散臭さが漂っており、早々にお引き取り願うた。
まこと、あのような商い、いまだに成り立つものかと首をかしげる。
一軒一軒訪ねて歩くとは、労多くして実り少なし、割に合わぬ仕儀と拙者には思われる。
件の訪問者の頻度を申せば、商いよりも宗教関係の方が上回っておる。
宗教関係者は、用件をはっきり述べぬまま、「ご説明したくて参りました」などと、要を得ぬことを申す者が多い。
つい先日などは、開口一番「お困りごとはありませんか?」と来た。
こちらはよしんば困りごとがあったとしても、いきなりの来訪者に相談する気はないゆえ、「いや、結構でござる」と即座に断り申したが、かような誘い文句で話を引き出そうとするとは、いったい何を考えておるやら。
2024年11月26日ーこのページー2024年11月28日