変わり映えしない日々の日記 2024年12月 日記 2025.03.172025.07.02 雪深い地方に住む高齢男性「かつ」の変わり映えしない日々の日記、2024年12月分でござる。 2024年12月31日 大晦日本日は大晦日。わが家においては大掃除の日と定めておる。殊に己が部屋を念入りに掃き清める日なれば、気を引き締めて取り掛かり申した。夕餉の折には、日本酒を小ぶりの茶碗にて二杯ばかり頂戴仕った。今年は誕生日にも飲まなんだゆえ、実に二月の初午以来の... 2024年12月30日冬将軍も本日はひと息入れておるようで、わずかに日が射し、十時頃には気温も氷点下を脱し申した。されば、本日は晴れ間をみて雪かき、年を重ねるにつけ息の上がるのも早うなり、幾度も休みを取りつつの作業でござる。若き折に腰を痛めし故、腰には殊に気を配... 2024年12月29日今日は玄関に注連飾りを掛け申した。わが家では例年、二十九日に取り付けるのが習いにござるが、近在を見渡せば、やけに早う飾り立てる家も少なからず。ふと思い立ち、調べてみれば、十二月十三日以降であれば、いつでも構わぬとのこと。聞けばその日は「すす... 2024年12月28日拙者、先日「古事記を読みなおす」と題する書を読み申した。三浦佑之殿の筆になるもので、ちくま新書より出ておる。ある折、古事記にわずかばかり興味を覚え、入門の書を幾冊か求めたのだが、その一冊がこの書にてござった。これまで手に入れし中では、最も筋... 2024年12月27日拙者、Appleと申す異国渡りの時計を身につけておる。これ、初めて世に出た折より気になりはしたが、初物に飛びついて良き思いをした験しが無く、辛抱して次の型を待った。そは二代目、すなわちSeries 2とやら。これが世に出たは八年前、拙者は其... 2024年12月26日拙者、御役目を引き払いし折を期し、酒断ちを致した。其の次第は、かつて此の書付に認めしこともござる。酒を断ちて十年のあいだ、誠に一滴も口にせなんだ。されども、十年を経たる折に思うた。親の遺言にあらず、殊更の願掛けにもあらねば、少しばかり緩めて... 2024年12月25日拙者の書きつける日々の記は、おおかた我が身の体調に関わること多く候。あれが悪い、これが痛むと連ね申せば、さぞや病多き老いぼれと思われるやもしれませぬが、日々の暮らしには何の支障もなく、おおむね元気に過ごしておるゆえ、いたって尋常の年寄りと心... 2024年12月24日趣味はなんでござるかと問われ申すとき、毎度ながら困り果て候。取り立てて胸を張って申せるような趣味がござらぬゆえにござる。活動写真も好むし、書物を読むも好き、名所旧跡を巡るも長きに渡り親しんでおり候。そのほかも多少たしなんでおるものの、いずれ... 2024年12月23日日々の雪かきに疲れ果てた折に、さらに大雪とは相成り候。今朝は「疲れた」など申しておる間もなく、大汗をかいて励むより他ござらなんだ。このところ雪の少なき歳が続きしゆえ、今冬もかくありと期待しておったものの、その望みは打ち砕かれ申した。夜半のう... 2024年12月22日拙者、食の好みにおいてはさほど偏りなく候。強いて申せば、好むものはカレー、珈琲、ぴざ、どーなつ、今川焼き、南部煎餅の豆、さらにはべこ餅といったあたりにござる。嫌いなるものは、いざ思い浮かばぬほどにござる。この中において、殊に珈琲は格別にござ... 2024年12月21日認知の乱れと申すは、まことに恐ろしきものにござる。されど、一度その病に陥り候わば、己においては何も分からぬゆえ、むしろ得を致すやもしれぬなどと、浅はかなることを思いしこともあり申した。しかしながら、かの病は徐々に進むものと聞き及び、人それぞ... 2024年12月20日拙者、御役目を辞し候のち、衣装に心を砕くこと少なくなり申した。とは申し候えども、現役の頃において殊更に気を遣いしかと問わるれば、決してそのようなこともなかりき。若き折より、装いというもの苦手にて、煩わしく存じ、無難なる紺にて揃え、数着を洗濯... 2024年12月19日乾燥肌にて悩まされ申す。冬の近づく頃より、スネのあたりに痒み生じ候。今年も十二月に入った折より、またぞろ始まり申した。そもそも斯様の症状に見舞われしは、六十の頃と覚えおり候。その折は、何やら草にでもかぶれたかと早合点し、石鹸にて念入りに洗い... 2024年12月18日本日を以て雪かき三日続きに相成り申した。今季初めての雪かきゆえ、未だ身が馴染まず、少々疲れが出申した。普段の運動は専ら歩行にて候。歩行にては腕の筋肉を用いること少なし。されど雪かきは腕を酷使いたし申す。もちろん腕ばかりか、腰を傷めぬよう、出... 2024年12月17日こむら返りにて目を覚まし申した。左の脛(すね)の後ろ、ふくらはぎに激しき痛み走り、曲げ伸ばしもままならず、只ひたすら堪え申すばかり。ややあって痛み引きしゆえ、時を改めて見れば、午前四時にて候。聞き及ぶに、こむら返りの因は様々あれど、水分の不... 2024年12月16日『お経の話』なる書を拝読仕り候。渡辺照宏殿の著にて、岩波新書のものに御座る。拙者これを手に入れしは四十余年前のこと、いかなる思いにて、かかる堅き仏教入門の書を求めしや、もはや覚えおらず候。拙者、折々に書を処分致すことありといえども、この一冊... 2024年12月15日近年は膝の具合、なかなかに良き次第にて、まこと嬉しく存じ候。拙者、五十の頃に一度、膝の痛みに悩まされしことあり、その後も折々痛み走ることござりし。あれは冬の寒き朝のことで御座った。飼いおる犬が散歩に連れ出せと吠え騒ぎ申すゆえ、寝覚めも浅きま... 2024年12月14日かの「洗濯指数」なるもの、初めて目にした折には、冗談にて申しておるかと訝しゅう存じ候。されど長く続けておるところをみるに、案外真面目に拵えたものに相違なき様子。しかしながら、天晴れにてあれば衣類の乾きやすきは道理、曇天にては乾き悪く、雨天に... 2024年12月13日本日は、拙者が借り受けておる「レンタルサーバー」の更新料を納め申さんとて、近所のコンビニなる店に赴き候。店内に据え付けられた「ファミポート」と呼ばるる機械の前に立ち、あらかじめ書き付けて参った控えの数字を見ながら操作いたし候。例ならば何の滞... 2024年12月12日小原庄助殿は、なにゆえ身上を潰したかと申せば、朝寝、朝酒、朝湯を殊のほか好み、その果てに家産を傾け申したとな。拙者も若き折――と申しても四十のころにて候えども――休日にはゆるりと構えたく思い、小原庄助殿に倣うて朝酒を試み申した。さぞ快く、心... 2024年12月11日拙者が、フェイスブックを始めし折のことにござる。いざ最初の文をしたためようと致したれども、さて何を書けばよいものやら、思案に暮れ申した。結局は、どこぞへ出向いた折の絵姿や、外にて飯を喰うた折の絵姿などを載せ、まことに茶を濁すような真似にて始... 2024年12月10日久方ぶりに相見えし同輩の知人より、このたびは心の臓を患い通院致しておるとの由、承り候。道の傍にて息苦しくなり、座り込み申した折より、さすがに病院へ参ったと申す。前々より背中に痛み覚え、「もしや心の臓か」との疑いありながら、つい先延ばし致して... 2024年12月9日空のご機嫌麗しき折、さりながら何処へも出向かぬとなると、自然と「いざ遠乗りいたしたき」との思い、胸の内にふつふつと湧き起こり、抑え難く候。とは申せ、出向く先は大概、県の内に限られ申す。朝餉をとりてより出立し、暮れの刻には戻る道理。立ち寄る所... 2024年12月8日 大人の休日倶楽部パス今年より「大人の休日倶楽部」なるものに入会仕り候。年格好にては、はや幾年前より入ること叶うたれども、「遠く江戸のあたりへ参ることなど、年に一度あるかないか。そのうえ年会費を払うほどの甲斐はあるまい」と、ついぞ縁遠くしておった次第。加えて「び... 2024年12月7日「近ごろ寒さ厳しき折、寝床において足元冷ゆるなり」との話の中にて、「いっそ足袋を履いて寝入りなされ」と申す者がおり、拙者、少なからず面食らい申した。もとより、寝るときに足袋など履くはよろしくないと、親より言い聞かされしがゆえ、それを頑なに守... 2024年12月6日 Googleレンズ「ぐーぐるれんず」と申す道具、近頃なかなかの働きを見せ申すな。現物の品や絵図面などあれば、いちいち文字を打ち込むより、はるかに手軽に探り当てられるとは、誠に便利の至りにて候。そもそもは道端に咲く草花の名を知りとうて、ためしに使いしが、今では... 2024年12月5日 青春18切符このたび「青春十八きっぷ」と申す、JRの普通・快速列車を乗り放題とする切符の使い勝手がいささか変更されたと聞き及び、あらためて心得をまとめ申した。これまでの十八きっぷは、一人で五日分使うもよし、仲間と分かち合い用いるもよし、日を飛ばして旅の... 2024年12月4日このたび「吾妻鏡 ― 鎌倉幕府『正史』の虚実」と申す書を拝読仕り候。藪本勝治殿の著にて、中公新書より世に出されしものにござる。源頼朝公の挙兵にはじまり、平家追討、奥州合戦、さらには比企氏の乱、和田合戦、実朝公暗殺、承久の乱、宝治合戦に至るま... 2024年12月3日拙者、もとより「成すべきことはすぐに成すべし」との心得にて、これまで心がけて参り申した。されど、ある程度年を重ねしのちには、いかに些細に見ゆる事柄とて、あえて急がず後回しにすることも増え申した。拙速にて失敗を重ねし経験より、まずは一度間を置... 2024年12月2日このたび、「史実を歩く」という書を拝読仕り候。吉村昭先生の筆になるもので、文春新書より平成十年の刊行にて候。世に小説を書かんとする者、まずは資料に当たり、土地を踏み、人の話を聞くということは、いわば当然の務めにござろう。されど、この吉村先生... 2024年12月1日このたび、「かたき討ち ― 復讐の作法」と申す書を拝読仕った。氏家幹人殿の筆によるもので、中公新書より出ておる。敵討ちにまつわる様々な実例、ならびに当時の見聞者による所見など、誠に興味深き内容にてあった。ひと口に「かたき討ち」と申しても、実... 総目次のページ>変わり映えしない日々の日記>このページ