2025年6月18日 水曜日

日記

拙者がまだ幼き折のこと。
住まいは山間の寒村にて、いまだ世は今のように機械の世にあらず、馬こそが人々の足と荷運びの頼みであった。

道を歩けば、田畑より戻る馬、あるいはこれから田畑へ向かう馬とすれ違い申す。無論、「トラック」なる鉄の駄馬もおったが、いまだ荷馬車の方がいくらか多き時分であったかと記憶致しておる。

交通手段とて、夏場には一日に二度、村と町を結ぶ「バス」なるものが往来しておった。されど、冬となれば道は雪に閉ざされ、この「バス」なる乗り物も動かず、代わって馬橇(ばそり)が人々を町まで運ぶ便と相成った。

町に着けば、今で言う「バスターミナル」のごとく、馬どもが行き先ごとに繋がれた場所があり、多くの馬橇が待機しておったものじゃ。あの風景、今も脳裏に鮮やかに残っておる。

されど、馬というものは、見た目は穏やかそうであっても、時に猛り狂う者もおる。馬のそばを通るときなど、内心びくびくしながら足早に過ぎたこと、数知れず。

ある日、母上に連れられ町へ参った帰り、いつものように馬橇の乗車場所へ参ったところ、乗るべき馬が、隣の乱暴者に噛みつかれ、深手を負ったとの由。わが村に向かう馬橇は急遽、運行休止となり申した。あのときは、まだ幼かったゆえ、記憶もあやふやではあるが、その夜は親戚の家に泊めてもらったように思う。

また、馬橇にまつわる記憶でもう一つ、忘れ難きことがある。これも幼少の折、誰ぞに連れられ馬橇に乗っておったところ、道は雪深く、馬が道を踏み外して、がらがらと転がり落ちたのでござる。拙者も他の乗客もろとも、雪の中へと放り出され申した。

そのとき、暖を取るための「火鉢」に入れてあった紅き炭火が、ぽんと目の前に飛び出してきた。その一瞬の赤々とした光景、いまだ瞼に焼き付いて離れ申さぬ。

かような昔語り、拙者にとっては懐かしき思い出なれど、他人に語って面白き話とは限らぬゆえ、普段は口外せぬことと致しておる。されど、このような「ブログ」なる書き物に記す分には、誰に迷惑をかけるわけでもなく、まこと有り難き世の仕組みでござるな。

さて、本日も晴天なり。陽射し強く、暑き一日であった。年寄りには少々堪えるが、縁側にて風鈴の音を聞きつつ、茶をすするには、これもまた一興にござる。


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