何年も前のことだが、ある日、街中を歩いていた折、思いもかけず、かつての先生と出くわしたことがあった。私は、思わず「先生!」と声をかけたところ、師はにこやかに「やあ」と応えてくれたのだが、どうにも私のことを思い出してはいない様子であった。しかし、それはそれ。久方ぶりの再会は嬉しかった。
先生と別れてさらに歩いているとき、ふと、「先生」と呼ばれる人について、考えた。教師は当然として、医師、政治家、弁護士、税理士、美容師……種々様々におる。
中には、「そんな肩書で呼ばれるのは好かぬ」という人もいるようだが、私思うに、相手が心地よく思う名で呼んでやるがよろしかろうと思う。何も骨の折れることではなし、わずかでも人の和が保たれるならば、それに越したことはない。
さて、呼び名で一つ思い出した。
かつて読んだ本に『若さま同心徳川竜之介』という読み物があって、その中に「ホトケの○○」と呼ばれたいと思いながらも、なかなかそうは呼ばれぬ同心が登場する。筆者は風野真知雄殿、出版は双葉社。『消えた十手』『卑怯三刀流』など、肩肘張らない佳き読み物で、楽しませていただいたものだ。
しかし、あの本らも、いっときの気まぐれで古書屋へと手放してしまった。
