今朝、ネットにて瓦版をめくっておったところ、北海道は根室の海辺に“とーちか”なるものが今なお残っておるとの記事が目に入った。“とーちか”とは、敵を見張り、迎え撃つための堅牢なる小さき陣所、土塁の一種にて、コンクリートでこしらえたるものであると解説していた。
そこで思い出したのだが、その“とーちか”は、拙者が幼少のころ住んでいた村にもあったのだ。それは、村を少し離れた海辺の高台に据えられており、われら童らにとっては、まこと格好の遊び場であった。中に入り、小さな覗き穴より沖ゆく舟を眺めいたものである。されど、盛夏ともなれば中は蒸し風呂のように暑く、とても長居はできぬ。そこで、その屋根によじ登り、飛び降りるなどして遊んでいたものである。
当時は、それが戦の道具なぞとは露ほども思わず、ただ「なんでこんなものがあるのだろう」と、不思議に思うのみであった。
また、山の方へ分け入ると、道端から少し入ったところに穴ぐらの小さな入口があった。これは“地下壕”なるものであった。狭き通路を進むと、やや広き部屋のような空間に出、そこには古びた器が転がっておった。あまりに陰気な場所ゆえ、童らの間でも人気の場所とはならず、遊び場にはなり申さなんだ。
ある折、祖母にその穴ぐらについて尋ねたことがある。祖母いわく、「敵が浜に上陸したときには、女子供は山に逃げ込むことと定められておった。ただ、山中にて雨や露に打たれれば命にもかかわる。小屋を建てれば敵に見つかりやすい。ならば土の中に身をひそめようと、村人皆で掘ったのだ」と、そして「これは役所や軍に言われて作ったのではなく、敵の上陸が近いと感じていた村人の寄合によって成ったものにて、吾もスコップを手に幾つも掘りに行ったのじゃ」と申した。「結局使わずに済み、戦後、落ちれば危ないというので全部埋め戻したはずだが、まだ残っておるのじゃろう。素人が無造作に堀った造りゆえ崩れやすいと思うし、中には熊の棲み処となっているものもあるかもしれぬ、今後は決して近づくでない」と諭されたのを覚えておる。
今どきの童どもが何をして遊んでおるかは知らぬが、我らが幼き頃は、実に分別のない遊びが多かったものよ。今思えば、危ういことこの上なし。
今日もまた、酷暑なり。
2025年7月17日ーこのページー2025年7月19日