日記と銘打ちながら、古きことを記す事が多いので、いささか看板に偽りありとも思うが、これとて、平穏無事なる日々の証しと心得れば、致し方なきことにござる。
されば、今日もまた昔のことをひと筆。
拙者がまだ童にて候ころ、我が家には釣瓶井戸(つるべいど)があり申した。綱につないだ木の桶(おけ)を井戸に放り込んで滑車を用いて引き上げるのでござる。家の内の土間に井戸を持つ家もあったが、我が家は屋外にござった。よって井戸端より天秤桶をもって台所へ水を運ぶのが日課にて、これがなかなかの労働にて候。
飲み水や煮炊き用の水などは、量も知れておるゆえまだよいが、風呂桶を満たすとなれば、これは容易ならぬ重労働。子どもとて容赦なく駆り出され、桶を担ぎて何度も往復せねばならず、まこと骨の折れる務めにござった。
やがて、拙者が小学の学びを終えんとする頃、ついに水道なるものが通じ、台所と風呂場に蛇口が取り付けられ申した。ただし、これは簡易水道なるもので、近き山の沢より湧き水を堰き止め、塩化ビニル製の管を這わせて家々に引いた粗末なものにて、ろ過も消毒もなき代物。
その証拠に、何やら名も知れぬエビのような虫が水とともに流れ来たり、母上は「これは栄養になる」と申され、飯や菜に混ざろうが一向に気にされなんだ。
その後、簡易水道は廃され、ついに本格的なる水道が村に整備された。しかしながら、便利にはなれども、それ相応の水道代を徴収されるようになり、「井戸はただで済んだのに」とわが家での評判は今一つであった。
さて、本日も相も変わらず、暑さ厳しき一日にて候。天気予報とやらによれば、これより十日ばかり、30度以上の日が続くとのことでござる。
2025年7月19日ーこのページー2025年7月21日