2025年8月1日 味噌玉

日記

幼き折のことにござる。わが家には囲炉裏の間があり、そこに大きなる神棚が据えられておった。その神棚の下には、いくつもの味噌玉が縄にかけられてぶら下がっており、これは祖母が丹精こめて仕込んだものでござった。

その味噌と申すが、拙者、まことに好みの味にて候。これは、いわゆる手前味噌なるものでござりましょう。兄弟などは「しょっぱきこと限りなし」「大豆の粒が大きうて舌に残る」などと申して、あまり好まぬようでござったが、拙者にとっては、あれこそが味噌というものにござった。

惜しむらくは、その仕込みの様を一度として見たことなく、拙者が学舎に通う間にすべての作業は終わっておった。今となっては、手順も何も分からぬまま、祖母の逝去とともに、あの味もまた世を去り申した。

拙者は当時、味噌はできたてが美味と信じ、神棚の下にぶら下がる味噌玉を見ては、「いつ食せるや」と、しきりに祖母をせきたてたものでござった。されど後年、三年味噌というものがあるように味噌は時を重ねてこそ真の味が立つと聞き及び、あれは浅慮であったかと反省したものでござる。

今日もまた暑きこと、この上なし。朝より陽は容赦なく照りつけ、お役所よりは「熱中症」の警戒報せが出たとのこと、もはや耳慣れた知らせとはいえ、身を慎むに如かず。


2025年7月31日ーこのページー2025年8月2日

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