本日、電車に乗って隣町まで出向き申した。途中の駅にて、近くの座席に腰を掛けておったご婦人が降りて行ったが、見れば、その座席にサングラスが残されておった。
「あのご婦人の忘れ物に相違あるまい」と当たりをつけ、われながら意外なほど軽やかなる身のこなしにて追いかけ、手渡すことが叶うたのでござる。
その婦人、実に喜びの面持ちにて礼を申してくれたゆえ、拙者、今日は何やら良きことが起こる兆しのように思えたのでありました。――とはいえ、結局のところ、その後は可もなく不可もなく、代わり映えのせぬ一日でござったが。
さて、その車中にてのこと。小さき童が、座しているに飽いたのか、あるいは窮屈に思うたのか、突如として床に寝転び転がり始めた。母親と見える人は一向に気にも留めず、拙者の方が却って気を揉み申した。比較的空いていたとはいえども、停車のたびに人の出入りはあるゆえ、踏まれては一大事、あるいはドア口から転げ落ちはせぬかと案じておったのでござる。
このような、じっとしているを苦手とする気持ちは、実のところ拙者にも覚えがある。明確な記憶というわけではないが、小学に通い始めた頃、先生が話しておる最中に拙者は座に落ち着かず、つい立ち上がってはうろついていたらしい。それを見た母に、家へ戻ってから手厳しく叱られたことがあるそうな。
――きっと拙者も、あの童と同じような性分であったのだろう。かようなものは、成長と共におのずと収まるもの。ゆえに、気に病むこともあるまい。
今日もまた暑き一日であった。聞けば、この暑さは八月のうちは続くとのこと。老の身にはいささかこたえるが、これもまた季節の習いにて候。
2025年8月24日ーこのページー2025年8月26日