十月は味覚の秋と申し、食の話題に事欠かぬ。特に果物の豊富に出回るは、まことに嬉しきことにござる。
「旬のものが一番美味い」と誰もが申す。然り、これに異論はござらぬ。されど、拙者には少々複雑なる思いもあるものよ。思えば、幼少の頃は、物資乏しく、また冷蔵の備えや流通の網も整わず、「旬のものが美味い」というよりは、「旬のものしか食えぬ」時代にござったれば。
幸いにして、海の近き所に住まいせしゆえ、魚には恵まれし。されど、魚というものは、獲れる時期が定まっており、ニシンが獲れれば来る日もニシン、ホッケが獲れれば来る日もホッケ、イカが獲れれば来る日もイカ。貧しき時節にて、おかずはそれ一品のみが連日続いたものにござる。
山のものもまた然り。秋ともなれば、わが家は米の節約のため、来る日も来る日も、米少なめの栗ご飯続きにござった。拙者も栗拾いに山へ繰り返し遣わされ申した。
今思えば、旬を味わい尽くす贅沢な食事であったが、当時は子供心にも食傷気味となり申した。親の拳固が飛んでくるゆえ、口には出さねども、「また今日も栗か」とがっかりした日があったことを、今も忘れ申さぬ。
されば、「旬のものが美味い」との声を聞くと、つい、真に美味いものは、旬でない時節に手に入れてこそ、珍しくまた美味きものぞと、心のうちで呟いてしまうのでござるよ。
昨日から一転、本日は爽やかに晴れた一日にて候。
2025年10月1日ーこのページー2025年10月3日