拙者、かつて犬を飼いおり申したが、その愛犬が亡くなった折、これより先、犬は飼うまいと固く心に決め申した。年も年にて候えば、新たに犬を迎えても、果たしてどちらが先に逝くか分からぬと案じたゆえのことにて候。
犬はもはや家族同然の存在にて、老いれば介護もまた致さねばならぬ。拙者の犬は、まず眼を患い、白内障と相成り申した。されど散歩を所望し、元気にはしており候。電柱やら石垣やらに頭をぶつけぬよう、拙者が手をかざし、進む道を導いたものでござる。気配りも体力も要りようで、中腰で世話を焼くにつけ、腰の方もたまらぬようになり申した。
やがてさらに弱り、屋外の犬小屋より屋内へと住まいを移し候。歩くもままならぬ身ながら、散歩を所望致すゆえ、抱き上げて風に当ててやったものでござる。風に吹かれると、いくらか気が晴れるようでのう。
そのうち夜泣きを致すようになり申した。何か不安か、あるいはどこぞ痛むのか。されど、撫でてやるとすぐ静まるゆえ、寝所に招き入れ、鳴けば手を伸ばしてやった。介護は誠に大儀ではあったが、不満など一つも覚えず候。
ただし、これなる世話は、己が健やかなる身であればこそ成せる業にて、衰えた身では務まらぬと悟り、それゆえ、犬はもう飼うまいと誓った次第にて候。
それより幾星霜か過ぎ申した。今思えば、あの折にもう一匹迎えておっても、案外やり遂げられたやもしれぬ。されど、後悔先に立たずとは、まことよう申したものにて候。
ゆえに、犬が登場する映画などにめっぽう弱くなり申した。
いささか前の話にて候が、「僕のワンダフルライフ」なる映画を観申した。犬が主役の物語にて、犬が思いを言葉にして語るも、人の耳にはただの吠え声としか聞こえぬという趣向なり。
イーサンなる少年が、ベイリーという名の犬を迎え申す。イーサン、ハイスクールの頃、ハンナという娘と懇ろとなり候。彼、フットボールの名手なれど、怪我をして農業の道を歩むこととなり、やがてハンナとも別れ申す。
その後、ベイリーは世を去り候。犬の命、短きことは世の常にて候。されど、このベイリー、転生を重ね、別の犬となってもなお、イーサンへの想い変わらず、ついには再会を果たすという、涙なくしては観られぬ物語にて候。
続編には「僕のワンダフルジャーニー」と申すものあり。そこでもまた、ベイリーは命尽きるに際し、イーサンより「孫のCJを守ってくれ」と託され候。前作にて転生の理を知るイーサンゆえの願いにて候。ベイリーは幾たびも生まれ変わり、困難に立ち向かいながらCJを助け、ついにはイーサンとの再会を果たし申す。
さて、話を拙者に戻し候。
犬はもう飼わぬと決めておったが、先日、新たなる命を迎え申した。我が家としては初めての小型犬、かつ初の室内犬にて、生後数か月の赤子ゆえ、いたずら盛りにて候。
悪さも多少は致すものの、映画に出てくる犬の如く、時と共に我らの心を察し、我らもまたこの子の心を察するようになろうと信じておる。叱らずともよかろうと。
この犬の寿命、十五年と聞き及ぶ。拙者夫婦もまた、あと十五年、この子と共に生きるべく、心して励む所存にて候。
2024年10月29日ーこのページー2024年10月31日