2025年10月20日の日記 水がめ

日記

ペットボトルのお茶は手軽にて助かるもの。箱買いして常備しておるのは、もっぱら爽健美茶か、あるいは麦茶にござる。

最近のことであるが、「ペットボトルの飲料は雑菌が繁殖しやすいため、その日のうちに飲み切るべき」という注意を目にし申した。拙者の場合、二日に渡って飲むことが常ゆえ、その「雑菌」という言葉が、心に引っかかり始め申した。

かかることを案じておるうちに、遠き昔の記憶が蘇ってきた。拙者が幼き頃は、まだ上水道が整えられておらず、生活用水は井戸より汲んでおりし。汲みし水は、台所の隅に据えられし、背の高き大きな水がめに溜めておく。使うときには、そこより柄杓(ひしゃく)にて掬い取るのでござる。

井戸より毎日新鮮なる水を運んでくるが、水がめが空になってから補充するわけではない。常に前の水が残っておる状態にて、古き水に新しき水を継ぎ足す形になる。これは、ペットボトルを二日かけて飲むことなど、比較にもならぬ。現代の感覚よりすれば、ずいぶん古き水を飲んでいたことになるはずにござる。

にもかかわらず、それが原因で腹を壊したという話は、周りからは聞かれなんだ。今の基準で考えれば「不衛生」なのではあるが、当時の我らは、その環境の中で生きていたのでござる。

当然ながら、井戸や水がめの清潔を保つことは、当時の暮らしにおいて最も重要な事柄であった。井戸は時折、水を浚(さら)って底を掃除しておるのを見た記憶があるし、水がめも定期的に洗われておった。

その後、大人になってから時代劇のテレビドラマを見ていた折のこと。長屋に帰った浪人者が、酔った勢いで水がめに柄杓を突っ込み、そのまま直接、ゴクゴクと水を飲む場面があった。それを見た瞬間、「あり得ない、時代考証がなっていない」と思いしものよ。

だが、すぐに考え直し申した。「零落した浪人者の、行儀作法をわきまえぬ様を表現する演出であろう」と合点いたした。なぜなら、あの井戸と水がめの時代、皆が使う柄杓で直接水を飲むというのは、衛生以前の「人としての礼儀」に反することであったからにござる。

さて、ペットボトルのお茶だが、当時を思えば、一週間でも大丈夫なような気がするが、時勢に合わせて短くして二日までといたそうと思う。

本日は雨がちの天候で、急に寒くなり申した。明日の朝は三度まで冷え込むとの予報にござる。


2025年10月19日ーこのページー2025年10月21日