拙者、隠居の身となり久しいが、近頃、つくづくと感じ入ることがある。
後期高齢者などという呼び名は兎も角、七十の坂と七十五の坂とでは、老いの程度が全く違う。七十の頃は、七十五なぞも同じであろうと軽く見ていたが、どっこい、甘く見てはいけなんだ。やはり、老いぼれのレベルが一段も二段も上がる。
されど、この老いの中で、若き頃より「パソコン」なる道具に親しんでおったことが、これほど役に立つとは思いもよらなんだ。
拙者が三十歳代になった頃は、西暦で申せば1980年頃よ。周りの方々は、このパソコンを、変人が熱中する「道楽」と見做しておった。「あんなもの、暇人の戯れよ」「筆で書く方が早かろう」「あんな物に気を取られると、肝心の仕事がおろそかになる」などと、散々に言われたものよ。
拙者は本職としてコンピュータを扱っておらなかったゆえ、素人にちょっと毛が生えたようなものであるが、それでも、この齢まで続けてきて良かったと、今は心底思うておる。
年を取ると、若い頃には当たり前に出来ていたことが、次から次へと出来なくなる。典型的なことは、足腰の衰えよ。年を取れば、気軽に遠出が出来なくなる。四季の移ろいを肌で感じ、友との語らいを楽しむ「外出」を、不自由なく行えるのは、若いうちの特権じゃ。
じゃが、パソコンという便利な相棒があれば、話は別じゃ。身ひとつ動かせずとも、家に居ながらにして、遠方の景色を見物できるし、名産を手に入れられる。友や親戚とも、画面ごしに話をすることさえ叶う。
それに、銭の心配も大きく減った。高価でなくとも、インターネットやメール、簡単な文を書くくらいであれば「クロームブック」という、安価なパソコンがある。また、中古品を選べば、出費をさらに抑えることもできる。「高い買い物」という古い観念に囚われる必要はない。
そして、銭の利点や身体の不自由から解放されること以上に、「脳の活性化と知的好奇心の充足」こそが、この道具がもたらす最大の益であると、拙者は考える。新しい操作を覚えること自体が、頭に心地よい刺激を与える。近頃は「AI」なるものとやり取りすることで知識を深堀りできる。思わぬ知恵を得られることもある。こうした行いは、集中力や記憶力の維持に繋がり、ひょっとすると認知症の予防にもなるかもしれぬと、ひそかに期待しておる。
さらに、年寄りは外へ出なくなった分、時間が余る。これまで旅先で撮った写真を整理してブログを開設したり、拙い文章をブログに書き綴ったり、興味ある分野のオンライン講座を受講することも容易い。家に居ながらにして、充実した時間を生み出してくれる。
パソコンは、年寄りにとってこそ大事な道具なのだ。この分野は絶えず進化いるゆえ、いつまで追いついていけるか分からぬが、この便利な相棒を手に、知らぬことを知っていることに、少しずつ変えていけば、何とか時代についていけるはず。
と思うておるが全てに楽観しているわけではない。落とし穴に落ちるかもしれないのだ。この目がいつまで保ってくれるか、そして、この頭の具合がいつまで保ってくれるかという落とし穴である。
今日は天気回復。晴れた一日であった。
2025年10月22日ーこのページー2025年10月24日