2025年5月23日 金曜日

日記

うろ覚えにて恐縮ながら、昔、何かの咄(はなし)で耳にしたことがある。曰く――「銭が細かく貯まること、惣菜を買い喰らうこと、すぐ腹を立てること、これら三つは、いわゆる物忘れの病(認知の衰え)の兆(きざ)しなるべし」と。

なるほど、小銭が貯まるというのは、銭勘定が面倒になり、つい紙の金(お札)ばかりを出すようになるから――と、そんな説明であったように思う。ふむ、道理といえば道理にござろう。

されど、残る二つ――惣菜を買ってくることと、すぐ怒りを露わにすること――これについては、拙者、いささか異論がある。惣菜好みの若者なぞ、今どき幾らでもおるし、癇癪持ちも年齢に関わらず見受けられる。かような気質の違いを、すべて老化のせいにするは、些か早計に過ぎよう。

また、他にも申しておったか――「感受性が鈍る」「心ときめかぬようになる」などと。これも一理あるようで、拙者には、むしろ逆に思えた。若き頃、いかに世が感動的な絵巻や芝居に涙せしとも、拙者は心動かされること少なかった。あまりに情に走ることが、どこか他人事のように思えてな。

されど近頃はどうであろう。年を重ねた今、些細な物語にも心揺さぶられ、目頭が熱くなる。涙腺が緩んだと申すか、情けが深くなったと申すか――老いとは、かように不思議なものでござる。

拙者のささやかな経験に照らせば、物忘れの病の兆とは、つまるところ――「同じ咄を繰り返すこと」「約定をすぐに忘れること」――この二つに尽きると心得る。

本日は、よく晴れて、誠に涼しき一日であった。気温は十八度、風も心地よく、これぞまさに、隠居暮らしの佳日と申せましょうな。


2025年5月22日ーこのページー2025年5月24日

総目次のページ変わり映えしない日々の日記変わり映えしない日々の日記 2025年5月>このページ

タイトルとURLをコピーしました