幼き頃、わが家には、丸太をくり抜いてこしらえた大桶があり申した。舟のような形をしており、これは一体何に使うのかと尋ねたところ、「わらびの根を川の水で晒すためのもの」と、祖母より聞かされ申した。「昔はこれを川辺へ運びて使うたのだ」とのこと。「そのうち、わらび餅を作ってやろう」と言われたものの、その約束は果たされぬまま、時は過ぎてしまい申した。
その後、遥か年月を経て、店頭に並ぶわらび餅を口にした折、「ああ、これがあの時語られしものか」と思いを馳せた次第にて候。ただし、その時食したそれは、きな粉をまぶし、冷たく柔らかき、まことに洗練された品であり、かつてわが家で語られたそれとは、何やら趣が異なるようにも思え申した。
と申すのは、その折、家人の誰ひとり「美味であった」と語る者はなく、むしろ「そのようなものでも食べたものよ」というニュアンスがあったゆえ、今の上品なる和菓子屋のわらび餅とは、違うものであったのではあるまいかと、今にして思うのでござる。
さて、このところ連日猛暑が続き、散歩もままならぬ日々にて候。例年も暑き日には無理をせぬのだが、今年は殊のほか「特に暑い日」が多く、結果、散歩を控える日もまた増え申した。
2025年7月28日ーこのページー2025年7月30日